インタビュイー:株式会社佐藤製作所 常務取締役 佐藤 修哉様東京都目黒区にある株式会社佐藤製作所は、真鍮(しんちゅう)やアルミといった非鉄金属の加工を主力とする町工場で、2025年に創業69年を迎える老舗企業だ。従業員20名ほどの中小製造業ながら、NHKやNTTなど大手通信・放送機器メーカーに重要部品を長年にわたり供給し続けてきた。中でも近年は「銀ロウ付け(※)」というニッチながらも高度な精度を要する溶接技術に特化し、その技術力を武器に業績を伸ばしている。同社が大きな転換点を迎えたのは約10年前のことだ。当時、安定していた取引先からの受注が減少するという危機に直面する中、経営再建の切り札として選んだのが「銀ロウ付け一本に絞った営業戦略」だった。「何でもできます」ではなく「これができます」とあえて絞り込んだ訴求に切り替えたことで、専門性が際立ち、受注は増加に転じた。経営の歯車が再び回り始めたという。 ここで伝えておきたいのは、「銀ロウ付け」という技術が会社の強みになる可能性があるという事を、先人の誰も思っていなかったということだ。変化を恐れず、あえてニッチで尖った技術に未来を託す。その大胆な決断の裏には、どのような思考と覚悟があったのか。中小製造業としての生存戦略、そして逆風の中で掴んだ成長の糸口について、同社 常務取締役・佐藤修哉氏にじっくりと話を伺った。※銀ロウ付け:溶加材(ロウ)を用いて金属同士を接合する溶接技術の一種。強度や気密性に優れるが、熟練の技術が必要とされる。「何でも屋」から脱却 ─銀ロウ付け一本で切り拓いた再生戦略危機を乗り越えるため、「何でも屋」状態から脱却し、業界未経験の佐藤氏が「銀ロウ付け」一本に絞ったPR戦略を断行した。その経緯とは。佐藤氏:当社は、真鍮やアルミといった金属を加工する町工場です。東京都目黒区に拠点を構え、創業から69年。社員は20名ほどと小規模ながら、長年にわたり事業を続けてきました。これまで、放送や通信機器に使われる精密な部品を数多く製造しており、納品先にはNHKやNTT、ソフトバンク、ドコモといった大手企業も含まれます。たとえば、「導波管(どうはかん)」や「アンテナの部品」、電波の周波数を調整する「バンドパスフィルター」など、高い精度と信頼性が求められる製品を手がけてきました。なかでも現在の主力となっているのが、「銀ロウ付け」と呼ばれる技術です。これは、金属どうしを接合する際に、銀を含んだ“ロウ材”という金属を使ってつなぐ方法で、もとの金属を溶かさずに接合できるのが特徴です。そのため、精密さが求められる部品や、異なる金属を組み合わせたいときに非常に適しています。耐久性や電気の通しやすさ、サビにくさなども求められる製品、たとえば電子機器や医療機器、飛行機や車の部品などにも幅広く使われています。私たちの強みは、この「銀ロウ付け」を手作業で行える職人が多い事と、その平均年齢が非常に低いことです。火を使い、職人が一点一点を丁寧に仕上げていく方法(トーチロウ)で、機械では難しい繊細な調整が可能になります。ここ10年で、会社の大きな方針を思い切って変えました。それまでの「幅広い金属加工ができる会社」という打ち出し方から、「銀ロウ付けに特化した会社」へと方針を明確に変えたのです。この決断が奏功し、結果的に仕事の幅も量も大きく広がりました。一般的には、専門領域を絞ることで受注が減ると考えられがちですが、当社の場合はむしろその逆で、ニッチな強みを明確にしたことが市場での評価につながったと感じています。自社PRを銀ロウ付けに絞ったのは、どんな経緯だったのか。佐藤氏:50年以上、当社は「金属加工なら何でもできます」「高品質短納期が売りです」というスタンスで事業を続けてきました。放送・通信機器関連の金属加工を主な領域とし、特定のお客様から継続的に注文をいただいていたため、ほとんど営業をしなくても仕事が入ってくる環境にありました。しかしある時期から、その注文が徐々に減りはじめ、会社の業績も下向きになっていったのです。「金属加工なら何でもお任せください」と幅広さをアピールするだけでは、新しい受注にはつながらなかったのです。このままでは経営が立ち行かなくなると感じ、売上を立てるために、PRの方針そのものを見直す必要があると考えました。そこで目を向けたのが「銀ロウ付け」という技術です。当時は売上構成のごく一部に過ぎず、会社の主力とは言えないポジションでしたが、他社にはない独自性を打ち出せる可能性があるのではと感じました。正直に言えば、手探りでの判断でしたし、私自身も製造業はまったくの未経験。「これが突破口になるかもしれない」という、ある種の賭けのような気持ちで動き始めました。まず取りかかったのがホームページの刷新です。当時のサイトは、「高品質」「一貫生産対応」といった一般的な文言ばかりで、銀ロウ付けに関する記述はほとんどありませんでした。そこで、内容をすべて銀ロウ付けに関する情報に置き換えました。「うちは銀ロウ付けの専門会社です」と明確に伝える構成に変えたのです。ところが、この方針に対して社内の反応は否定的でした。「そんなことをしたら仕事が減る」「あの技術は売り物にならない」といった声も多く、むしろ不安のほうが大きかったように思います。実際、当時の売上全体から見ても、銀ロウ付けが占める割合はごくわずか。決して伸びていたわけでも、収益の柱だったわけでもありませんでした。それでも、他社と差別化できる技術を明確に打ち出すことが、会社の再生につながると信じて突き進みました。その結果、運よく比較的早い段階で反応があり、銀ロウ付けに関する問い合わせや受注が徐々に増えていったのです。営業経験ゼロからの挑戦─顧客の声が導いた“銀ロウ付け”営業経験ゼロで会社に入った佐藤氏。何が自社の武器になるのか全く分からない中で、顧客一人ひとりに丁寧に耳を傾け続けた。そこで浮かび上がってきたのが、「銀ロウ付け」というニッチな技術だった。現在では、自ら営業の最前線に立ち、「全員営業」体制を構築している。佐藤氏:入社当時の私は、本当に何も分からない状態で、業界のことも会社のことも無知でした。ただ、そのぶん恥ずかしさもなく、何でも聞ける環境だったのかもしれません。正直に言えば、会社の状態はかなり厳しく、このまま事業を引き継いでも将来が見えない、という焦りの中にいました。だからこそ、「自分たちの強みは何か」を知るために、とにかくお客様に「うちの会社の良いところって、どこだと思いますか?」とひたすら尋ねて回りました。そのなかで出てきたのが、銀ロウ付けという技術でした。PR活動と同様に、お客様に当社の存在を知ってもらうためには営業も重要です。しかし、当時の当社には、営業部門というもの自体が存在していませんでした。だから「もう自分がやるしかない」と、腹をくくって動き始めました。格好いい話ではなく、本当に消去法(それ以外に選択肢が無い状態)での決断でした。今でもいわゆる営業部という組織はありませんが、スタッフたちがとても協力的に動いてくれています。飛び込みで営業をかけたり、売り込みをしたりするわけではありませんが、普段から会社のことを多くの人に知ってもらえるような取り組みに、皆が前向きに関わってくれている。そのような「みんなで営業している」という感覚が社内に広がっています。メディアに出る機会も増えましたが、そうした場面でも私一人ではなく、スタッフが一緒に出てくれるようになったんです。これは以前では考えられなかったことで、個人的にとても嬉しく感じています。「スキルよりもマインド」─若手採用に切り替えた理由高齢化と後継者不足が進む製造業において、佐藤製作所は修哉氏が入社した約10年前から若手採用に取り組んでいる。背景にあったのは、中途採用の“スキル重視”による失敗経験。そして導き出された答えは、「マインドセット重視」というシンプルだが本質的な方針転換だった。佐藤氏:銀ロウ付けに限らず、どの製造業も今、職人の高齢化と後継者不足に直面しています。そんな中で、当社は10年ほど前から全く前例のない新卒採用に取り組み始めました。その結果、運よく今では若手のスタッフが社内に多く在籍しています。それまでの50年間は中途採用のみで採用を行っていて、スキルを重視して募集していたんです。30代くらいの経験者の方にも何人か入社してもらいましたが、結局は長続きしなかった。数ヶ月で辞めてしまったり、業務自体はこなしてくれるけれど、コミュニケーションがうまく取れなかったり、会社の考え方とどうしても合わなかったり…。結果として、うまくいった採用はほとんどありませんでした。当時の私は最年少で、年上の社員から距離を置かれることも多く、「嫌われているのかな」と感じたこともありました。もちろん、私自身にも未熟な部分はあったと思いますが、それ以上に、「会社の方向性に共感できていないまま、スキルだけで採用してしまうと、結局はうまくいかない」と実感したんです。そうした経験を経て、最終的にたどり着いたのが、「スキルではなく、マインドセットを重視する」という方針でした。製造業といえばスキル重視が当たり前。あえて“マインド”を重視した理由とは?佐藤氏:そんな経験もあって、採用でもスキルだけでなく、「会社の考え方に共感できるか」、いわゆる“マインドセット”を重視するようになりました。スキルは後から身につけられる。でも価値観がずれたままだと、仕事は進んでも関係は深まりません。過去の経験がそれを教えてくれました。その当時の「会社の考え」というのは、完全に僕個人の「こういう会社にしていきたい」「こういう人と働きたい」という願望でした。実際、中途採用では前職のやり方に強いこだわりを持つ方も多く、それ自体は否定しませんが、当社の方針とすり合わせるのが難しい場面もありました。だからこそ、まっさらな若手を迎え、ゼロから会社の考え方と技術を伝えていくほうが、結果的に定着率も高まると考えるようになったんです。もちろん、中途採用を否定するつもりはありません。その当時の“スキル重視”に偏っていたことで、すれ違いが生まれていたのだと、今は思っています。現に今では中途採用も復活させていて、昔と違い定着にもつながっています。10年前に始めた挑戦。インターン採用が会社の文化を変えた10年以上前から長期インターンを地道に継続。当時の社内反対を押し切り、常務自ら学校と関係を築き、若手人材確保と「全員営業」の土台を築いた。佐藤氏:最近では、インターンや新卒で入ってくる若手が増えてきています。まっさらな状態の人材が加わることで、「佐藤製作所はこういう考え方、こういう姿勢で仕事をしているんだ」という文化が、社内に少しずつ浸透していくのを感じています。当社が重視しているのは、スキルよりもその人の性格や、会社との相性です。最近では、当社のような規模の町工場でもインターンを実施する企業が増えてきましたが、当社では10年以上前から取り組んでいます。当時は、中小企業や町工場のインターン受け入れ自体がまだ珍しく、しかも少人数の会社で5日間しっかり対応するとなると、社内の負担も大きく、決して簡単なことではありませんでした。インターンの募集活動は今も昔も私が担当しています。製造業に興味を持つ学生がいそうな学校に足を運び、説明会を開いたり、先生方と顔を合わせたり。時間をかけて関係を築き、「今年もよろしくお願いします」と毎年続けてきました。担当の先生と信頼関係を築くには本当に時間がかかりますが、それが後々、素敵なご縁に繋がることがあります。10年以上続けてきたことが、いまの若手人材の流入につながっているのだと実感しています。正直なところ、当時インターン採用を社内で相談していたら、きっと反対されていたと思います。私が入社した当時は、会社の先行きも見えず、何かひとつでも突破口を見つけなければという必死な状況でした。だからこそ、ひとつひとつ許可を取って進める余裕もなく、「まず動こう」と決めたんです。正直、社内の承認を得られる見込みは薄いと感じていたので、思い切ってすべて事後報告で進めました。もちろん叱られることばかりで心が折れたり、涙を流すことも沢山ありましたが、それでも続けてきたことが、今の土台につながっていると感じています。前編では、株式会社佐藤製作所がニッチな「銀ロウ付け」技術に特化し、若手やインターンの積極採用を通じて、“人”への投資で組織を変革してきた歩みを伺いました。後編では、女性活躍の推進や独自のPR戦略に焦点を当てながら、今後の展望、そして経営者としてのメッセージをお伺いします。