インタビュイー:株式会社アライブメディケア 代表取締役 安田雄太様介護付有料老人ホーム「アライブ」を、東京・神奈川で11ホーム展開する株式会社アライブメディケア。セコムグループの一員として高品質な介護サービスを提供し、「片道30分で行ける、街一番の介護屋」を目指して、入居者だけでなく地域にも貢献する取り組みを続けている。同社の最大の特徴は、「スタッフが幸せでなければ、入居者を幸せにすることはできない」という信念のもと、幸福学を経営に取り入れた「ウェルビーイング経営」を業界に先駆けて実践している点にある。代表取締役の安田雄太氏は、新卒入社後14年間にわたり介護の現場に身を置いた、たたき上げの経営者である。3期連続赤字という危機の真っ只中で2021年に社長へ就任し、社員一人ひとりとの対話を重ねた経営改革によって、組織をV字回復へと導いた。前編では、株式会社アライブメディケア 代表取締役 安田雄太氏に、ウェルビーイング経営という独自の事業哲学や、パイロットの夢を絶たれた原体験、そして葛藤を経て会社に残る覚悟を決めるまでの歩みについて、お話を伺った。「スタッフの幸せ」が最優先。業界の常識を覆すウェルビーイング経営はじめに、アライブメディケアの事業内容と、その根幹にあるウェルビーイング経営についてお話を伺った。安田代表:アライブメディケアは、都内の一等地を中心に、介護付有料老人ホーム「アライブ」を東京・神奈川で11ホーム運営しています。目指しているのは、「片道30分で行ける、街一番の介護屋」になること。入居者はもちろん、その地域で困っていらっしゃる方々にも、私たちのケアを届けたいと考えています。そのなかで当社がいちばん大切にしているのが、「ウェルビーイング経営」という考え方です。私は、「スタッフが幸せでなければ、ご入居者を幸せにすることはできない」と本気で考えています。この順番は、私自身が長く現場に立つなかでたどり着いた実感でもあります。働いている方々の心が満たされていなければ、その先にいる入居者やご家族に、本当に良いサービスが届くはずがない。だからこそ私たちは、スタッフの幸せを起点に据えることにしました。具体的には、幸福学の知見を評価制度や研修に取り入れ、全スタッフを対象に幸福度診断を年に1回実施しています。自分たちがいまどういう状態にあるのかを可視化し、組織として向き合っていく取り組みを地道に続けてきました。その結果は数字にもはっきりと表れており、一時期組織改革により40%を超える程だった離職率が、14%まで下がりました。さらに、営業利益率も大幅に改善しています。スタッフの幸せに投資することが、巡り巡って経営の安定につながることを、私たちは身をもって証明してきました。取り組みは施設外にも広がっています。たとえば「アライブ旅行」は、病気や年齢に関係なく旅行を楽しんでいただく試みで、認知症の方や100歳を超える方も含め、これまでに300名以上の方が全国各地へ足を運ばれました。旅行を目標にリハビリを頑張られて、元気を取り戻される方も少なくありません。また、月に1回開く「アライブランチ」では、ご入居者と地域の方々が交流します。子どもたちにとっての「第3の居場所」となることを目指していて、何度も足を運んでくれるお子さんもいます。介護施設という枠を超えて、街全体を元気にしていく。それが私たちの目指す介護のかたちです。パイロットの夢を絶たれた暗闇の中で見つけた、「人」と向き合う仕事の可能性〈アライブ世田谷下馬のお写真〉現在でこそウェルビーイング経営を掲げる安田氏だが、その出発点は介護とは無縁の世界にあった。幼い頃から思い描いていた夢が、ある事故によって突然断たれる。その暗闇のなかで、安田氏は「人」と向き合う仕事に出会っていく。安田代表:もともと私には、パイロットになるという夢がありました。子どもの頃に初めて乗った飛行機の操縦士に憧れ、将来はパイロットになるのだと信じて疑いませんでした。その夢のために航空宇宙工学を学べる大学へ進み、介護福祉とはまったく違う世界に身を置き、エアラインからの内定もいただいていました。ところが、その内定をいただいた年の12月、趣味でやっていたサーフィンで事故に遭ってしまいました。ボードが左目に突き刺さり、その衝撃で目の構造が歪んでしまったのです。視力そのものが失われたわけではないのですが、パイロットにとって重要な、距離感や奥行きをつかむ感覚が損なわれてしまいました。安全がすべての航空という世界で、もうパイロットにはなれない。目の前が真っ暗になるような心境でした。正直なところ、人生を投げ出したいような気持ちにもなりました。整備士になればと勧めてくださる先生もいましたが、当時はその世界にもう携わりたくなかった。それで1年間、研究生として大学に籍だけ残させていただき、自分探しのため日本を飛び出しました。若いうちにしか行けない場所へ行こうと、スリランカや東南アジアなど、海のある国を巡りました。現地でさまざまな価値観を持つ方々と出会い、語り合うなかで、私は少しずつ自分というものが見えてきたのです。パイロットでなくても選択肢はいくらでもある。何より、人と話すのがこんなに楽しい。知らないことをお互いに知り合えた瞬間に、心からワクワクする。自分は意外なほどに「人間」が好きなのだと、心の底から気づいたのです。では仕事として何をするか。せっかくなら、まだ世の中にない、答えのない領域に関わりたいと考えました。調べていくうちに行き着いたのが、医療・介護でした。ちょうど2000年に介護保険制度が始まろうとしていた時期で、民間ではまだ誰も手をつけていないブルーオーシャンに見えたのです。大学院では医療福祉工学を専攻し、医療介護経営を学び直しました。その勉強は面白かったのですが、同時に疑問もわいてきました。医療職の方々と接していると、なぜか皆、できない理由から入っていくのです。調べてみると、医療はもともと軍隊から来た文化で、緊急の場面で上意下達が求められてきた歴史がありました。その成り立ちを思えば当然のことです。けれども、これからの医療や介護はサービス業であるべきだと私は考えました。であれば、人間らしさを活かせる余地がきっとある。そこにこそ面白さがあるはずだと、自分のやりたいことと「人間」への関心が一つに重なって、介護の世界へ足を踏み入れることになったのです。現場での猛反発と暗黒の7年間。それでも「仲間」を裏切らなかった理由〈アライブ世田谷下馬のお写真〉介護の世界へ進むと決めた安田氏は、大企業の内定を辞退し、新規事業をゼロから立ち上げる道を選ぶ。だがそこで待っていたのは、現場からの激しい反発だった。安田代表:就職活動の際、医療と介護を民間でやっている会社はほとんどありませんでした。そのなかで内定をいただいたのが、セコムと、私が入社した荒井商店です。荒井商店は不動産会社でしたが、大きな病院グループを持っていて、不動産のノウハウと掛け合わせて介護事業をつくろうと構想していました。答えがなく、自分で考えて創っていく仕事である。新入社員だろうが全部任せるというカルチャーがある。その言葉に惹かれて入社し、雇われている立場でありながら、自分の責任でこの仕事をつくるのだという当事者意識を強く持っていました。しかし、いざ介護の現場に入ると、大きな壁にぶつかります。現場で働いている多くの方は、もともと医療職としての経験をお持ちです。これまで学んできたことを大切にされている一方で、問題が起きると「誰かがやってくれる」というスタンスになりがちでした。それに対して当時25歳の私が、「自分たちで原因を考えて、自分たちが変わっていくんだ」と言うものですから、年上の介護主任さんたちが反発するのも当然でした。それでも事業を前に進めなければなりません。私は、どうすれば現場の力を巻き込めるのかを真剣に考えるようになりました。半年ほど悩み続けた末にたどり着いたのが、まず相手の心を開くことの大切さです。正論をいくらぶつけても、人は動きません。だから私は、ひたすら聞くことに徹しました。相手の感情をそのまま映し返す「ミラーリング」という認知症ケアの技法も、人との関わりに応用したのです。そうして信頼を築きながら、全員に共通する課題を見つけ出し、私自身が緩衝材となって会社側を動かし、一つひとつ問題を取り除いていきました。「安田さんと一緒にやるとうまくいく」という成功体験を積み重ね、仲間が増え、現場が変わっていきました。転機が訪れたのは、2014年に本社へ異動してからです。当時の経営陣と仕事をするなかで、私が大切にしてきた現場のカルチャーと、短期的な利益を優先する考え方とが、激しくぶつかり合いました。コストを削れば数字は一時的に整うかもしれませんが、それでは現場が疲弊してしまう。譲れない信念をめぐって葛藤し続けたこの時期は、私の人生でいちばん辛い7年間でした。正直に申し上げると、独立して離れる道もありました。けれども、創業期から一緒に走ってくれた仲間たちの存在が私にとっては大きく、その道を選べなかった。「介護は素敵な仕事だと証明しよう」と、夜にお酒を酌み交わしながら語り合った仲間を、裏切るわけにはいきませんでした。自分が残って、この会社を立て直し、仲間を守る。その想いが、私を会社に留まらせたのです。前編では、ウェルビーイング経営という独自の事業哲学や、パイロットの夢を絶たれた原体験、そして葛藤を経て会社に残る覚悟を決めるまでの歩みについて、お話を伺いました。後編では、3期連続赤字からの社長就任とV字回復の軌跡や、介護業界の構造そのものを変える事業構想、そして国境を越えて「人を大切にする」組織づくりについて、お話を伺っていきます。安田雄太/東京都世田谷出身。パイロットを目指して航空宇宙学を学ぶも、21歳の事故で夢を断念。人生の転機を経て介護の世界へ進み、2001年に株式会社荒井商店へ入社。都内12カ所のホームを運営し、「Well-being」を経営の核に据える。現場スタッフからホーム長まで全工程を経験し、コロナ渦2021年に社長就任し経営再建を達成。ホワイト企業大賞「継続賞」や「経営デザインランクアップ認証」を受賞し、透明性の高い経営を実践。自らもYouTube等で発信を行い、現場の想いに寄り添いながらスタッフが誇りを持てる組織文化の醸成と介護業界のイメージ刷新に邁進している。【会社概要】会社名株式会社アライブメディケア設立年1980年代表取締役安田 雄太事業内容介護付きホームの企画・運営所在地東京都杉並区高円寺北1-17-5