インタビュイー:株式会社アシストユウ 代表取締役社長 小幡 祐己様建設、農業、防災、インフラ保守―。日本各地に点在する“現場”は今、過酷さを増すばかりである。山間部や沿岸部では通信インフラが整わず、夏の炎天下や突発的な豪雨といった自然条件も容赦なく作業を阻む。加えて、現場を担う人材の高齢化と慢性的な人手不足は深刻さを極め、従来の人海戦術による安全確保や進捗管理には限界が来ている。こうした現場を、遠隔から「見守り」「判断し」「必要に応じて動かす」仕組みがあったなら―。その一歩を、宮崎から現実のものにしているのが株式会社アシストユウである。同社が開発・展開するのは、電源ひとつで稼働し、3分で通信が立ち上がる屋外用ネットワークカメラシステム。遠隔地にいながらスマートフォンやPCでリアルタイム映像を確認し、異常時にはアラート発信や機器制御も可能にする“判断するカメラ”だ。屋外特化型の「モニタリングミックス」、そしてAIとセンサーを連携させた上位モデル「MICS AI(ミックス・エーアイ)」を軸に、現場の“困った”に寄り添い続けている。こうした発想が生まれたのは、今から約20年前のこと。電気設備業向けITシステムを祖業とするアシストユウが、現場のリアルなニーズに応えるかたちで着手した技術開発は、やがて日本の現場全体を支えるソリューションへと進化を遂げる。熱対策、通信環境、遠隔制御―「屋外」という過酷な環境に挑み続けるその足跡は、まさに“現場起点”のものづくりの体現である。「無理だ」と言われた課題を、どうやって乗り越えてきたのか。後編では組織を率いる小幡社長が、なぜ家業を継ぐに至ったのか。料理人、役者という異色の経歴が、どう経営に生きているのか。そして、単なるカメラメーカーの枠を超え、エンタメや社会貢献へと向かう経営の核心に迫っていく。料理人、役者、そして家業へ―異色の経歴が導いた“現場力”事業の変革期を担う小幡社長の歩みは、一般的な2代目経営者のそれとは大きく異なる。高校を中退し17歳で料理の世界へ。そして役者を志し上京。一見、ITとは無縁に見えるキャリアは、どのように今につながっているのだろうか。小幡社長:最初に飛び込んだのは料理の世界でした。高校を辞めて17歳で厨房に入って、父が料理人だった影響もあったと思います。そこから数年は、下積みも含めてしっかり経験を積みました。ただ、21歳ぐらいのときに、ふと「自分を表現するなら、今度は表舞台に立ってみたい」と思ったんです。料理は裏方の世界ですから。そこで「オーディションに受かったら東京へ行こう」と決めて、ワタナベエンターテインメントの育成所に応募したら、運良く合格して。合格通知をもらってから、周囲に「東京で役者やるわ」と伝えたので、家族も含めてみんなびっくりしていましたね。それから28歳くらいまで、CM、ドラマ、映画と幅広くやらせてもらいました。ただ、「30歳までに結果が出なかったら辞める」と決めていたので、いつも時間に追われる感覚はありました。必死でしたね。ようやく少し大きな仕事を掴み始めた矢先、もう一つ、ずっと気になっていたものがあって。それが、母が進めていたこのカメラ事業です。正直、最初は“面白そう”くらいの感覚でした。でもよくよく見ていくと、単に新しいことをやっているだけじゃない、社会の困りごとに真正面から向き合っている事業だなと感じるようになっていきました。その頃には、「これ、自分の手で育ててみたい」と自然に思うようになっていて。結果として、芸能からは身を引いて、1人で東京支店を立ち上げる決断をしました。あっという間に10年経ちましたけど、あのときの感覚は今も間違っていなかったと思っています。料理人も役者も、いま手がけているITやものづくりとは全く別の世界ですが、自分の中ではすごくつながっているんです。料理の世界では、閑古鳥が鳴いていた店を何とか立て直すところまでやりました。「売上を作るにはどうすればいいか」「お客さんに喜んでもらうには何が足りないか」―そういう感覚は、ビジネスでもまったく同じです。役者としての経験も、人の心を動かす“伝え方”という意味で、今すごく役立っています。どの仕事も“つまみ食い”じゃなくて、ちゃんと突き詰めたつもりです。6年、7年と続けてみて、ようやく見えてくるものってあるんですよね。だからこそ今、現場を深く理解しながら、テクノロジーを実装できる土台が自分の中にできたのかなと思っています。「カメラから見える世界」を絵本に―エンタメ事業への挑戦異色の経歴を持つ小幡社長が次に仕掛けるのは、なんとエンタメ事業だ。アシストユウは今、本業の傍らで「アラン」というオリジナルキャラクターを作り、絵本を制作しているのだという。AIカメラと絵本。その意外なつながりについて伺う。小幡社長:今、エンタメ事業にも取り組んでいるんです。当社のカメラをモチーフにした「アラン」というキャラクターをつくって、グッズやアパレルを展開しながら、絵本の制作も進めています。テーマは「カメラから見える世界」。私たちが日常的に見ている“人の目線”ではなく、AIを搭載したカメラがどう世界をとらえているのか―その視点を子どもたちに届けたいと思ったんです。カメラって、見ているだけでなく“考え、判断し、動く”存在でもある。だったら、そのカメラが主人公になって、自分の目線で世界を語る物語があってもいいんじゃないかと。最終的にはアニメーション映画にもしたいと思っています。子どもたちに、AIやカメラってこういう仕組みでできていて、それをつくるにはグラフィックの仕事があったり、ITや設計の役割があったりと、ものづくりの世界には色んな仕事があるんだよ、ということを伝えていきたいんです。もちろん、ただの夢物語で終わらせるつもりはありません。絵本って、親が子どもに読み聞かせたり、おじいちゃんおばあちゃんが孫にプレゼントしたりと、世代を越えて残っていくものですよね。だからこそ、私たちの絵本が完成した際には、まず多くの子どもたちに届けられるよう、無償配布やウェブでの公開も視野に入れています。現在はその準備を進める一方で、普段なかなかエンターテインメントに触れる機会が少ない子どもたち―例えば、シングルファザー・シングルマザーの家庭や児童養護施設などに向けて、すでに世の中にある良質な絵本や映画を寄付する活動を続けています。子どもたちが物語や映像を通じて将来への夢を描くきっかけになれば、という思いを込めています。そして、そうした活動を通じて「これってどんな会社がつくってるの?」と興味を持ってもらい、そこから本業のカメラや技術にも関心を広げてもらえるような導線を、少しずつ形にしているところです。本業があるからこそ、こういう社会的な活動にも本気で取り組めると思っています。カメラの技術を通して社会をよくする。そのための新しい入り口として、エンタメはすごく可能性があると感じているんです。宮崎から世界へ―地方創生を貫く、新たな使命本業で得た利益を、未来を担う子どもたちへの支援として還元する。小幡社長が社会貢献活動に力を注ぐ背景には、単なる慈善ではない、経営と人生を一貫して貫く“還元の哲学”がある。小幡社長:今も個人的に、児童養護施設の子どもたちに映画鑑賞をプレゼントする活動を続けています。これは会社の取り組みというより、あくまで私個人の想いから始めたものです。正直、私は物欲があまりなくて。車とか時計とか、そういうものにあまり興味が湧かないんですよ。それよりも、自分が好きなことや、誰かが喜んでくれることにお金を使いたいという気持ちの方がずっと強い。経営者としてのゴールって、利益を出すことだけじゃなくて、その利益をどう循環させるか、つまり“どこへ還元していくか”だと思うんです。その「還元したい」という思いは、やっぱり自分のふるさと・宮崎にも向かっていて。私はこの会社を、あくまで“宮崎から”発信していきたいというこだわりをずっと持っています。ただ、地方にいると情報のスピード感にギャップを感じることもあります。だからこそ、東京で得た最先端の知見や人脈を、どう地元に持ち帰って根づかせるかが大事なんです。その逆輸入こそが、地方企業の価値になると信じています。取材や打ち合わせでも、できるだけ皆さんに宮崎に来ていただいて、地元の空気や風景のなかで話をしてもらうようにしています。そこにある人や風土、自然の魅力も含めて、“この土地から生まれる技術や発想には意味がある”と感じてもらえたら嬉しいですね。うちの理念は「宮崎から挑戦を続けること」と、「こまったを解決する会社であること」です。一見“無理だ”と思われるような課題でも、ちゃんと向き合って形にしていけば、必ず誰かの困りごとを解決できる。そうやって一つずつ社会に貢献していくことが、結果的にこの土地の未来を切り拓く力にもなると思っています。もちろん、まだまだ道半ばです。でも、この宮崎という土地でこそ、大きな花を咲かせられると信じていますし、その実現にこれからも本気で取り組んでいきたいと思っています。インタビュー後記20年前に生まれた着想を、実用レベルまで磨き上げてきた技術力。そして、料理人や役者といった一見異なる領域を経験してきた歩みが、今の事業に確かな手触りをもたらしているように感じられた。現場で困っている人がいて、その「困った」をどうすれば解決できるか。その目線を一貫して持ち続けてきたからこそ、アシストユウの製品は“見て終わり”ではなく、“判断し、動ける”存在として現場に根づいているのだと思う。そして、もうひとつ強く印象に残ったのは、地元・宮崎にこだわりながらも、情報や技術の最前線としっかりつながっている姿勢だ。地方から挑戦することにこそ意味がある。そう確かに語る言葉の背景には、社会に対して自分がどう関わっていくかを真剣に考え続けてきた時間があるのだと感じた。「カメラから見える世界」を子どもたちに届けたいという想いも、テクノロジーを遠いものにせず、未来に手渡していこうとする姿勢のひとつなのだろう。“無理だ”と言われたことを、静かに、着実にひっくり返してきた現場の挑戦。その歩みには、社会や時代の変化を支えていくための、ひとつのヒントが込められているように思う。