インタビュイー:株式会社ベストコ 代表取締役社長 井関大介様少子化と過疎化が加速する日本の地方都市。「地方はビジネスとして成立しない」と判断され、大手塾が撤退していく中で、創業以来右肩上がりの成長を続けている学習塾がある。福島県や宮城県など東北地方を中心に、126教室を展開する株式会社ベストコだ。同社の戦略は、既存の塾業界の常識とは一線を画すものだった。「駅前の一等地には出店しない」「合格実績だけを価値にしない」。学習塾業界の常識から逸れているともとれるこれらの選択は、人口減少が進む地域で教育を続けていくための、現実的な判断でもあった。少子化によって市場が縮小し、人手不足が深刻化する地方において、教育というサービスを持続可能にするには、熱意や理念だけでは限界がある。ベストコはこの課題に対し、事業の在り方そのものを見直し、仕組み化とテクノロジーの活用を進めてきた。なぜ、子どもが減り続ける地域で教室を維持し、拡大することができているのか。その根底にあるのは、塾を単なる学習の場としてではなく、「地方の子どもたちが社会とつながり、将来の選択肢を知るための“第3の居場所(サードプレイス)”」として捉える、ベストコの一貫した考え方である。本稿では、地方社会における教育インフラの構築を目指す株式会社ベストコ・代表取締役社長・井関大介様に、独自の事業戦略や創業の背景、そして東日本大震災という逆境の中で下した意思決定についてお話を伺った。「駅前」ではなく「生活圏」へ。地方の保護者が求めていた“インフラ”としての塾学習塾といえば、駅前のビルに入居し、電車で通う生徒たちを集めるのが大都市圏での一般的なスタイルである。しかし、ベストコの教室があるのは、駅から離れた住宅街や、人口数万人規模の地方都市だ。同社独自の立地戦略の背景には、地方の生活実態を徹底的に見つめたマーケティング視点がある。井関代表:『徹底した地域密着』、これが私たちベストコの教室展開の大きな特長です。大手塾なら採算が合わないと判断するような、人口数万人規模の町にもあえて教室を構えています。一般的に、学習塾はターミナル駅の前に大規模な校舎を構え、広範囲から生徒を集めるモデルが多いです。しかし、私たちが拠点を置く地方の生活実態は少し異なります。地方は基本的には車社会ですから、日常的に電車を使って通学する学生は都心ほど多くありません。むしろ駅前は駐車スペースが限られていたり送迎の時間帯に渋滞したりと、保護者様にとって不便なケースもあるのです。加えて近年は、共働きのご家庭が増えています。忙しい夕方の時間に、車で片道20分、30分とかけて遠くの塾へ送迎するのは、生活する上で非常に大きな負担にもなります。そこで私たちは、駅前への一極集中ではなく、生徒さんが自分で通えたり、親御さんの送迎負担が最小限で済んだりする、「生活圏内」に出店する戦略をとっています。イメージとしては「コンビニエンスストア」のような存在です。遠くの百貨店まで出かける特別な場所ではなく、生活導線の中にあり、必要な時にいつでも頼れる。そんな“地域の教育インフラ”としての利便性を提供したいと考えています。また、ビジネスモデルとして参考にしているのは、ある女性向けフィットネスクラブさんです。大規模な設備を持つ総合フィットネスクラブは、維持費も高く、商圏人口が多くないと経営が成り立ちにくい側面があります。一方で、機能を絞り込み、地域密着型で展開するモデルであれば、人口が少ないエリアでも十分に質の高いサービスを維持できます。私たちも同様に、大規模な校舎ではなく、生徒数70名ほどでしっかりと運営が成り立つ小商圏モデルを構築することで、大手が参入しにくい地方エリアでも、持続可能な教育環境を提供できているのです。トップ校合格だけがゴールではない。学習習慣の定着を支える独自ポジション塾業界の多くは、難関校への合格者数を競い、上位数%の「エリート層」を奪い合う。しかしベストコは、あえてその競争から距離を置いて、市場の圧倒的多数を占める「勉強に困っている子」の支えになる道を選んだ。この独自の立ち位置は、井関代表が自らの適職に出会った原体験に深く根ざしている。井関代表:私は秋田県で歯科医院を営む父の長男として育ちました。現在は家族が実家を継いでいますが、私自身も当初は医療の道を意識していました。しかし、自分の進むべき道を模索する中で教育学部を選び、大学時代に始めた塾のアルバイトが、今のビジネスの原点となりました。アルバイト時代に初めて担当したのが、志望校合格には学力が届かない厳しい状況にあった生徒さんです。その子は基礎的な能力はあったのですが、ケアレスミスが多かったこともあり、点数が伸び悩んでいました。そこで私が、途中式を丁寧に書くことや暗算に頼らないことなど、学習の基本を根気強く指導したところ、見事に合格を勝ち取ることができました。結果を知ったとき、お母様と生徒さんは涙を流して喜んでくださり、目の前の人の力になれる手応え、そして誰かの人生に直接貢献できる喜びを知りました。教育を一生の仕事にしようと決意した瞬間でもあります。この経験から、もともと成績優秀な層をさらに伸ばすこと以上に、勉強のやり方がわからなくて困っている子や、学習習慣を身につけたい子に伴走することに、大きな意義を感じるようになったんです。多くの進学塾は合格実績を最優先に掲げますが、実は「まずは学校の授業についていきたい」「勉強への苦手意識をなくしたい」と願っているご家庭も非常に多いのです。私たちはそうしたニーズに寄り添い、面倒見の良さや通いやすさを追求しました。合格実績という単一の指標に依存しないからこそ、実績のない新しいエリアに進出しても、地域の方々に温かく受け入れていただけているのだと思います。創業2年目の震災危機。撤退ではなく「10教室同時開校」を選んだ合理的な理由徹底した地域密着という信念を掲げ、福島県から第一歩を踏み出したベストコ。しかし、創業2年目の2011年、未曾有の事態に見舞われる。東日本大震災である。原発事故の影響もあり、多くの人々が避難を余儀なくされる中で、井関氏は撤退ではなく、「出店加速」という逆転の決断を下した。井関代表:震災当時、私たちは創業2年目で、福島県内を中心に17教室ほどを展開していました。原発事故の影響もあり、放射能への懸念から、子どもたちは外遊びを制限され、多くの子どもたちが県外へ避難していきました。大手企業は、何よりも社員の安全を第一に考える組織としての責任や、厳しい安全基準があります。震災当時はそうした管理体制の観点から、様々な業種で福島から撤退せざるを得ない状況だったのです。そんな日々の中にあって私が思ったのは、子どもたちの日常を取り戻したい、ということです。当時は校庭も使えず、外遊びもできませんでした。子どもたちには、放課後に集まって友人と話したり勉強したりできる、「サードプレイス」としての居場所が必要だと強く感じたのです。地元のことは地元の人間である私たちがやるしかない。そう決意し、震災直後の混乱の中で、逆に1年間で10教室を一気に開校しました。もちろん、新教室の開校は感情だけの判断ではありません。経営者としての冷静な市場分析でもありました。人口が減れば市場は縮小しますが、競合他社が撤退すれば、学びの場に対する供給も減ります。結果として、地域に残る私たちが選ばれる確率は高まると予測しました。将来の市場規模が縮小することが見えていたからこそ、私たちは攻めの姿勢で地域に深く根を張り、シェアを確保することを選んだのです。同時に、県外への進出も進めました。当時、家庭の事情で香川県の実家へ帰るという社員がいたため、彼に託す形で教室を立ち上げたんです。福島で万が一事業が継続できなくなった際でも会社を存続させるため、離れた場所で収益の柱を作る。この飛び地での出店が成功したことで、私たちのモデルが全国どこでも通用する確信を得ました。前編では、株式会社ベストコの独自の事業戦略や創業の背景、東日本大震災という逆境の中で下した意思決定についてお話を伺いました。後編では、属人化を解消する仕組み作りやIT企業であるユナイテッドグループへ参画した真意、今後の展望についてお話を伺っていきます。井関大介/1975年秋田県大仙市生まれ。大学卒業後、集団学習塾にて教育現場を経験。2009年に株式会社Global assist(現・株式会社ベストコ)を創業し、地域の子ども一人ひとりの学習課題解決を目指す。現在は東北エリアを中心に全国に120校以上の教室を展開。地方でも持続可能な学習塾モデルの開発と拡大に尽力している。【会社概要】会社名株式会社ベストコ設立2009年5月代表者井関大介事業内容学習塾事業、学習アプリ事業、調査・研究事業所在地東京本社 東京都渋谷区渋谷1-2-5 MFPR渋谷ビルサイトURLhttps://bestco.jp/