インタビュイー:キッコーマンこころダイニング株式会社 代表取締役社長 茶谷 良和 様日本の食卓に欠かせない存在として、長年親しまれてきたキッコーマンのしょうゆ。日本の食文化を支えてきた企業が、もう一歩踏み込み、「暮らしそのものを豊かにする発酵食の提案」に挑んでいる。2017年、キッコーマングループの社内起業で誕生したキッコーマンこころダイニング株式会社である。「発酵のある暮らし」を掲げ、伝統を礎にしながら、忙しい現代人の生活リズムに寄り添う商品づくりを追求している。その舵を取るのが、長年マーケティング畑を歩んできた茶谷良和氏。ゼロからの通販事業立ち上げに始まり、吉祥寺でのアンテナショップ展開、小売・卸チャネルの開拓へと領域を広げてきた。幾度もの試行錯誤を経て生まれた看板商品「サクサクしょうゆアーモンド」は累計300万個を突破。EC会員数も18万人を超え、発酵の新しい価値を着実に広げている。本編では、キッコーマンこころダイニング株式会社 代表取締役社長 茶谷良和氏に、社内起業の背景や3つの販売チャネルをゼロから築き上げた舞台裏、冷凍惣菜から常温品への転換を経た商品開発の試行錯誤について、お話を伺った。「発酵のある暮らし」という提案―生活必需品から暮らしを豊かにする商品へはじめに、キッコーマンこころダイニング株式会社を社内起業した背景と「発酵」への想いについて、お話を伺った。茶谷代表:当社を立ち上げる以前、私はキッコーマン食品株式会社のプロダクト・マネジャー室に所属していました。めんつゆ等の商品の企画からマーケティングまで担っていたのですが、あるとき「新規事業を企画するプロジェクトチームに異動して提案してみないか?」と声をかけてもらったのです。私自身、マーケティング部門には10年以上在籍していたこともあり、何か新しいことをやりたいという気持ちが強くありました。自分にできるか少し不安もありましたが、せっかく得られた機会を無駄にしたくないと思い、挑戦することにしました。私が新規事業を企画提案する際に出発点としたのは、キッコーマンのしょうゆがすでに「生活必需品」として確固たる地位を築いているという事実でした。多くのご家庭にとって当たり前の存在であり、唯一無二の価値を持つ商品です。しかしこれからは、生活必需品としての役割を果たすだけでなく、日々の暮らしをさらに豊かにする商品やサービス提案をしたいと考えました。しょうゆは発酵食品です。しょうゆを軸に「発酵のある暮らし」というブランドコンセプトを掲げ、食のライフスタイルを提案していく事業に行きつきました。近年は忙しい人が増え、日々の生活の中で、調理に手間をかけることが難しくなっています。手間をかけなくてもおいしく、こころとからだをととのえる商品があれば喜んでいただけるのではないか。現代の暮らしにあった発酵食品をつくろう。そんな想いでスタートしました。日本は人口減少が進み、これまでのように量を売ることが難しくなっています。その中で企業が成長していくには、より質の高い商品をお客様に届けることが必要になってきます。しかし、質の高い商品ほどその価値を伝えるための丁寧な説明がなくては売れません。そのため、これからはメーカーもモノをつくるだけでなく、自らのチャネルでお客様に商品の価値を伝えて販売する必要があると感じました。一方でキッコーマンは、スーパーマーケットや加工外食企業のチャネルに支えられて事業を展開している企業です。そのためお客様へは間接的に商品をお届けしてきました。しかし、お客様に新たな商品価値を伝えて暮らしの提案をするためには、D2C(Direct to Consumer)のチャネルに取り組む必要があると考えました。既存事業とは事業活動もまったく異なるため、別会社として立ち上げることにしました。当時は今ほどD2Cという言葉が一般的ではなかったので、先駆的な取り組みだったと思います。「発酵のある暮らし」をテーマに事業活動する「キッコーマンこころダイニング株式会社」を設立し、事業提案を行った私が新会社の代表に就任することになりました。一社員のときは自分の仕事に責任を負っていればよかったのですが、経営者になると社員やスタッフの人生まですべて背負うことになります。その責任の重みは、それまでとはまったく異なるものでした。当初は、自分にその責任が果たせるのか心が揺らいだこともありました。ですが、一緒に小さな船に乗ってくれた仲間とともに成功するまであきらめずにチャレンジを続ければ、必ず社会に必要とされる。そう信じて、人生をかけて努力してきました。3つの販売チャネル―通販、店舗、小売卸の展開通販、店舗、小売という三つの販売チャネルに挑んだものの、立ち上げ当初は思うような成果が出ず、厳しいスタートとなる。理想と現実の差に直面し、大きな挫折を味わった。 茶谷代表:販売チャネルとして、当社はまず最初に通販事業を立ち上げました。通販の実績はありませんから、お客様はゼロからのスタートで、集客にはかなりの時間がかかりました。立ち上げ当初に新聞広告を出したのですが、初日の注文は2件ほど。朝から電話が鳴らず「電話が壊れているのではないか?」と疑いました。新聞に広告を掲載すれば一定の反応があるだろうと考えていたのですが、蓋を開けてみると、惨憺たる結果となりました。それから、新聞広告のクリエイティブを何度も改良し、試行錯誤を重ねることでようやく注文もいただけるようになりました。またインターネットでの販売方法を模索し、通販会員を増やしていきました。購入したお客様が商品のファンとなり、お友達にプレゼントしてくれ口コミで広がりました。世に認知が広がる転機となったのは、タレントさんやミュージシャンの方にテレビやラジオで商品を紹介していただいたことです。その後のFacebookでの広告や、Instagramインフルエンサーの広告も成長のきっかけになりました。またもう一つの大きな挑戦が、吉祥寺にアンテナショップをオープンしたことです。お客様に直接商品を召し上がっていただき、生活提案する場としてリアルな接点の場所を作りました。立地選定から内装工事、スタッフの接客やメニュー開発まで、初めてのことでしたが、その道のプロの方たちにプロジェクトメンバーに入っていただきコンセプトづくりから進めました。全てが初めての経験で、手探りで進んでいくような感覚でしたが、メンバーと一緒に形にしていくのは楽しかったです。アンテナショップの出店場所として、都内の複数箇所を比較検討しました。その中で、発酵食品を軸に「暮らし」を提案していくという点を考えると、吉祥寺が最もふさわしいと判断しました。生活・文化を大切にする方が多い印象があり、この街であれば、私たちが届けたい価値観が自然に伝わっていくのではないかと考えたのです。アンテナショップでは、ただ商品を販売するだけでなく、ランチセミナーも定期的に開催しています。その中心の一つが、薬膳の料理セミナーです。国際中医師の村岡奈弥先生の監修で、毎月季節に合わせて、美味しくからだに良いメニューとセミナーの企画を考えています。たとえば冬は、レンコンや里芋など土の中で育つ野菜が旬を迎えます。こうした根菜類には、からだを温めたり、疲れを癒したりする働きがあると言われています。こうした季節の食材と発酵調味料を組み合わせながら、簡単においしく家庭でもつくれて、健康に役立つ料理をお客様に紹介しています。店舗のつくりにも工夫を凝らしています。1階は蔵をイメージした発酵食品の販売スペースです。試食ができるよう、カウンターを配置しました。2階にはカウンターキッチンを備えたスペースで、講師が実際に調理しながら、食材や発酵調味料の持つ力、料理のポイントをお客様に直接お伝えできるようにしています。ランチを食べながら、味や香りも含めて体感していただいています。2020年には、「発酵のある暮らし」こころダイニング吉祥寺店はグッドデザイン賞ブランディング部門を受賞しました。常設店舗以外でも、駅中や駅前の商業施設での催事イベント販売を月に1回程度、継続的に実施しています。リアルの場での接点も活用しながら、1人でも多くの方に「発酵のある暮らし」を提案できればと思っています。通販とアンテナショップを軸に展開する一方で、展示会への出展などを重ね、これまでキッコーマン商品を販売したことのない新たなチャネルの開拓にも力を入れてきました。その結果、デパート、生活提案型の雑貨店、書店、調剤薬局など、店頭でスタッフの方が商品価値を説明できる店舗にお取り扱いいただいています。これからは、ホテルや高級系の飲食店への提案を本格化していきたいと考えています。そうした場で使っていただくことで、より高い品質を求める層のお客様に味わっていただける機会が増えます。料理を提供の際に、レストランで商品も紹介していただくことで、より認知の接点を広げていきたいと思っています。試行錯誤の商品開発―冷凍惣菜からの学びと常温品への転換冷凍ミールキットへの挑戦と撤退を経て、同社は常温商品へと舵を切った。「サクサクしょうゆアーモンド」に代表される発酵商品群は、試行錯誤の末にたどり着いた答えである。茶谷代表:販売チャネルの構築と並行して、商品開発でも試行錯誤を重ねてきました。最初に取り組んだのは、半調理の冷凍惣菜キット、いわゆるミールキットです。発酵調味料を使ったソースをベースに、鴨のロース煮や・牛すじ煮込み・豚のしょうゆもろみ漬けなどを商品化しました。手に入りにくい食材を加工して、焼く、煮たるだけで完成する、そんな手軽さをちょっとしたごちそうとしてを自宅で楽しんでいただけると考えたのです。しかし、当時は通販での集客が十分に確立できていなかったことに加え、デパートの惣菜など競合商品も多く、お客様から支持を得ることができませんでした。そのため、開始から2年で撤退することとなりました。冷凍品からの撤退を機に、常温商品に注力します。ラインアップの中心は、しょうゆを使った調味料です。立ち上げ当初からの商品「サクサクしょうゆアーモンド」は順調に伸びました。その後、栄養がとれるパックごはんの「糀入りもちもち玄米」や、野菜ミックス飲料の「甘糀入りにんじんとあしたば」など、発酵食品を原料にした商品へと領域を広げました。新商品の開発は容易ではありません。私たちは発酵の良さを生かしたニッチな素材を活かし、市場にまだない商品を作りたいと考えています。その場合、お客様に受け入れていただけるかを見極める慎重さが欠かせません。また原料費や開発費を考慮すると、価格も高くなりがちです。お客様の期待に応えながら、事業としても成り立たせる。この両立の落としどころを探ることが、一番難しいと感じています。前編では、社内起業の背景や3つの販売チャネルをゼロから築き上げた舞台裏、冷凍惣菜から常温品への転換を経た商品開発の試行錯誤について、お話を伺いました。後編では、代表商品「サクサクしょうゆアーモンド」が生み出した価値と今後の展望について、お話を伺っていきます。茶谷 良和/兵庫県西宮市出身。1991年キッコーマン入社。キッコーマンの国内営業、プロダクト・マネジャー室、経営企画室を経て現職に至る。キッコーマンの社内企業でキッコーマンこころダイニングを立ち上げ、2018年吉祥寺アンテナショップと通販サイトをオープン。発酵食でこころとからだをととのえる「発酵のある暮らし」を世の中に広げたいという想いで事業活動に従事。【会社概要】会社名キッコーマンこころダイニング株式会社設立2017年4月27日代表取締役社長茶谷良和事業内容食品の製造、仕入れ、輸入及び販売飲食業及び食品物販業所在地東京都港区西新橋2-1-1サイトURLhttps://cocoro-dining.co.jp/