インタビュイー:株式会社andUS 代表取締役社長 廣岡 伸那様富山に拠点を構える株式会社andUS(アンダス)は、『美容で地域に灯美を』をミッションに掲げ、美容サロン向け化粧品ブランド「oméme」の展開を始め、全国の美容サロンへのコンサルティングや、会計サービスの提供を行っている会社だ。代表取締役社長・廣岡伸那氏は、東日本大震災を機に地元へ戻り、妻と共に起業。サロン経営、コンサルティング、通販コスメなど次々と挑戦を重ねるなかで、数々の試練にも直面してきた。それでも着実に道を切り拓いてきた廣岡社長。なぜ挑戦を続けることができたのか。その軌跡と転機を辿る。後編では、廣岡社長に新型コロナウイルスが蔓延していた時期にどのように苦難を乗り越えたのか、そして、これから先に目指していることを伺った。原体験が灯した人への想いコロナ禍の中、眠れぬ夜を過ごしていた廣岡社長。積み重ねてきた努力の意味を見つめ直す中で、小学1年生の時の体験を思い出す。その記憶は、美容業界で働く理由につながっていた。廣岡社長:2019年12月頃から化粧品が売れ始め、化粧品事業単体で黒字を達成しました。営業スタッフにもわずかですが賞与を支給し、昇給も実現できた矢先のことです。先輩経営者から「中国の武漢で新型のウイルスが確認されたらしい」と耳にしました。これまでの努力が実を結び、人も定着し、チームワークも最高潮に高まっていた時期でした。「インバウンドには影響がでるかもしれないが、私たちには関係ないだろう」そう自分に言い聞かせ、都合の悪い情報には耳をふさいでいました。しかし、その希望的観測はあっけなく崩れ去りました。新型コロナウイルスは瞬く間に日本国内にも広がっていきました。全国に約700件あったクライアントのSNSには、「お店を開けるべきか、閉めるべきか」「アルコール消毒は必須か、足りないときはどうするか」「マスクがなくても営業を続けるのか」といった切実な声があふれていました。どの選択をしても必ず批判が出る─そんな状況に、皆が苦しんでいました。当然、私たちの売上も2020年の2月から3月にかけて一気に落ち込みました。クライアントから「返品したい」、「支払いができない」といった連絡が相次ぎ、本当に苦しい時期でした。売上の急落と先行きの不安に追い詰められ、廣岡社長は眠れぬ夜を過ごしていた。そのとき、長らく封じていた原体験の記憶がよみがえったのである。廣岡社長:2020年4月1日の夜、横になっても眠れず、「8年間ずっと努力してきたのに、なぜ報われないのだろう」と自問自答していました。同時に、これまで辛いことに直面した時、自分はどうやって乗り越えてきたのかを思い返そうとしました。そこで心の奥底から浮かび上がってきたのは、小学1年生の時の出来事でした。あまりに辛い経験だったため、心の中のパンドラの箱に閉じ込め、鍵をかけ、その鍵さえも捨て去ってしまった─そんな自分でも忘れ去っていた記憶を思い出したのです。私は、小学校1年生のゴールデンウィーク中に顔に大やけどを負い、眉毛やまつ毛が燃えてしまいました。前髪も治療のために切られ、顔じゅうガーゼに覆われたまま学校へ通いました。すると同級生から心ない態度を取られ、言葉にするのも辛いことを言われ続けました。そんな状態が夏休みまで続いたのです。夏休み中は、週に一度の通院でガーゼが少しずつ減っていくのを励みにしながら、空き地で一人、壁に向かってボールを投げる日々。同級生に会うのが怖く、家にこもる時間も多くありました。夏休みが明けて学校に戻ると、多くの同級生が野球やサッカー、スポーツ少年団、ボーイスカウトなど、新しいコミュニティーに所属し、私への関心は一気に薄れました。1学期とは打って変わり、誰からも関心を持たれなくなったのです。解放感と同時に、強烈な孤独を感じました。やがて前髪が伸び、眉毛やまつ毛も少しずつ生え、顔を覆っていたガーゼも減っていきました。そんなある日、母が「髪を切ってきたら」と近所の美容院を予約してくれました。美容師さんは私の髪を整えたあと「かっこよくなったね。明日から学校が楽しみだね」と声をかけてくれました。その瞬間、初めて「学校に行きたい」と思えたのです。翌日、同じクラスの子から「髪の毛切ったんだね、すっきりしたね」と声をかけられたことをきっかけに、少しずつクラスに馴染んでいくことができました。それまでは、自分が美容業界にいる意味をはっきりと見いだせていませんでした。前職が化粧品会社だったから、妻がまつ毛サロンを経営していたから─そんな偶然の延長線上だと思っていたのです。ですが、この原体験があるからこそ、美容院のスタッフやオーナー、経営者の方々に恩返ししたいという気持ちが、私の中に深く根づいていると気づいたのです。できることをすべてやる―コロナ禍で示した行動力苦境に立たされた2020年。廣岡社長は「自社の利益よりクライアントのために」動いた。そうして、予想だにしていなかった成果を得ることとなる。廣岡社長:これだけ強い原体験に裏付けられた動機があるのに、なぜ自分はくよくよしているんだ、そう思い直しました。コロナで苦しいのは私たちだけではない。クライアントさんたちも同じ状況だ。だから自社の利益のことばかりを気にするのではなく、できることをすべてやろう。やれるだけやって駄目なら仕方ないと覚悟が決まりました。そして、「2020年11月の決算で結果が出なければ、自分に経営のセンスがなかったと認め、会社を解散する」覚悟で臨んだのです。そこからは、できることを徹底的に探しました。全国700件のクライアントさんに対し、有料で行っていたコンサルティングを、4~7月中は無料にすると告知し、何百件も実施しました。幸い、私たちはコロナ禍前の2018年頃からオンラインセールスの仕組みも導入しており、当初は「やっぱり一度は現場に来てください」と言われることが多かったのですが、コロナ禍においては強みとなりました。また、オンラインでの無料コンサル以外にも、全国のクライアントさんに手紙を送るなど、とにかく「今できること」に集中したのです。当時は消毒用アルコールが不足していたため、代替として消毒用次亜塩素水の取引先を見つけ、マスクも中国から仕入れました。次亜塩素水もマスクも、利益はほとんど取らず、必要としているクライアントさんたちへ届ける形にしました。実はマスクの購入は前払いで、当初「4月10日に届く」と言われていたものの、「船便が遅れています」「税関で止まっています」といった連絡が相次ぎました。クライアントさんたちからは「いつ頃になりますか?」という問い合わせが続く中、ようやく4月18日に到着。無事に納品できたその日は、偶然にも私の誕生日で、思わぬサプライズとなりました。4〜5月はサロン事業が休業を余儀なくされていたため、売上の柱はomémeブランド商品と次亜塩素水、マスクでした。やがてクライアントが営業を再開すると、休業期間の反動で注文が一気に戻り、6月後半には過去最高の売上を記録。その後も売上は落ちることなく伸び続け、ついには年商1億円を突破しました。さらに、クライアントさんたちからは「andUSさんには本当にお世話になった」「困っていた時に勇気づけられた」「マスクと次亜塩素水をありがとう」と感謝の声をいただくようになりました。結果的に、2020年11月末の決算では、マスクと次亜塩素水の売上によって前年を上回ることができました。そのためコロナ対策の補助金や融資は受けられませんでしたが、クライアントさんたちに喜んでもらえたことが何よりでした。そして翌年も追い風が吹きました。マスクで顔の半分が隠れる分、目元ケアとアイメイクが流行りました。それが私たちの事業にぴったりとはまったのです。運が味方してくれた─そう感じました。苦境を力に変えた歩みは、やがて加速し始めた。点の積み重ねが線となり、線が面へと広がる。その変化を廣岡社長自身、強く実感していたのである。廣岡社長:2020年頃に点と点がつながり線となり、2022年から2025年にかけては、その線が面となり、さらに面が立体へと広がってきている─私はそう実感しています。ですが、私自身の考えは変わっていません。根底にあるのは、やはり「小学1年生の時の経験」です。誰からも興味を持たれなくなったあの孤独感が、今も私に大きな影響を与えています。だからこそ、目の前で困っている人を決して見過ごすことはできませんでした。知識や技術、経験が十分でなくても、膝を突き合わせ、一生懸命向き合ってきました。そうした姿勢の積み重ねが、やがて自分の血肉となり、実力へとつながっていったのだと思います。「目の前の人を大事にする」「困っている人を見逃さない」「孤独を放置しない」─この想いは一貫して変わらず、私の芯となり続けています。次世代へバトンをつなぐ―andUSが描く未来andUSに全国から意欲ある人財が集まる理由と、今後の展望を伺った。廣岡社長:一言で表すなら「心理的安全性」です。社員が元気に、安心して働ける環境を整えられるようになりました。過度なプレッシャーを感じることなく、のびのびと働ける─そんな心理的な安心感を会社の中に醸成できていると感じています。私は、ストレス耐性が強い人が、必ずしも仕事で成果を出せるわけではないと考えています。ストレスに耐えられるだけでは、高い成果を生み出せるとは限らない。大切なのはストレスを我慢する力ではなく、安心して働ける環境です。心理的安全性があるからこそ、人は本来の力を発揮できるのだと思います。例えば、野球の場面を想像してみてください。9回裏、ツーアウト満塁、ツーストライク・スリーボールという極限の緊張感の中、心理的安全性の高いチームであれば、仲間は余計なことを言わず、ただピッチャーを信じて見守るでしょう。一方、心理的安全性の低いチームでは、監督がにらみをきかせ、キャッチャーは「絶対に打たれるなよ」と声をかけ、ファーストも「頼むぞ」とプレッシャーを与えてくる。「ミスするな」という空気が広がれば、かえってミスを招きます。反対に「大丈夫、お前ならできる」と伝えられれば、人は安心し、余計なストレスなく力を発揮できるのです。私自身、この考えを言語化できたのはここ5〜6年ですが、実は以前から同じスタンスでやっていました。以前はこのスタンスを優しすぎるのではと言われたこともあります。ですが、andUSに人が集まるのは、人間関係と信頼関係を基盤に心理的安全性を築けているからだと思います。もちろんストレスを完全になくすことはできません。大事なのは、「不必要なストレスを与えないこと」です。いまandUSには、全国から成長意欲のある人財が集まってきます。それはandUSのメンバー1人ひとりが“コンテンツ”そのものだからです。メンバーは、自分のルーティンを持ち、規則正しい生活を送り、健康的で、常に学び続けています。営業やプレゼンを磨く人、マーケティングや人事を学ぶ人、自己啓発や起業の勉強会に参加する人もいます。そんな仲間たちに触れ合うことで「この人と働きたい」と感じる人が集まり、やる気に満ちた人財がさらに引き寄せられる─そんな好循環が生まれているのです。さらに、環境に馴染むことに苦労していた人が、andUSで共に働く中で前向きさを取り戻すケースもありました。人が集い、信頼に支えられた組織基盤を築いた今、次に問われるのは未来への視座である。andUSがどのような道を描こうとしているのか。廣岡社長:BtoBの化粧品・美容領域で培った実績をもとに、andUSを100億円企業へと成長させることが当面の目標です。今後10年で確固たる地位を築き、「andUSといえばこうだ」と認知される存在になる。その指標が、国内外を合わせた売上100億円です。そして2034年以降は、その実績を土台に自社の理念を他業界へと広げていきたいと考えています。これから日本は少子高齢化が進み、後継者不足に悩む企業は増えるばかりです。私たちはそうした会社の承継支援も視野に入れています。そして多様な業種がグループとしてジョインし、成長していく未来を見据えています。私は現在(2025年)41歳ですが、50歳までには次の世代に経営を託すつもりでいます。30〜40代のメンバーが役員として力を発揮できるよう、私は経営の前線を退き、支える役割に回りたいのです。私は「縁ある人の潜在的な可能性を覚醒し、成長実感を波及する」という理念を掲げています。それは頑張る人をサポートするのが好きだからです。100億円企業になり、チームを確固たる形にするまでは全力を尽くしますが、その後はメンバーに委ねます。彼らが主役となって成長していくことこそ、社名andUSに込めた「主役のあなたと共に」という思いの体現だと考えています。10年後のandUSは、今以上に大きく羽ばたいているでしょう。その未来のために、現在は上場に向けた準備も進めています。インタビュー後記廣岡社長の歩みは、多くの挑戦と挫折、そしてそこから得た気づきの積み重ねでした。幼少期の原体験を胸に、事業を育て、仲間と共に歩みを進めています。失敗を糧とし、次世代へバトンを渡そうとする姿勢に、andUSの未来の大きさを感じました。