インタビュイー:海外留学EF 代表 伊東グローニング七菜様世界114カ国に拠点を展開し、約5万人のスタッフを擁する国際教育機関EF(Education First)。1965年にスウェーデンで創業し、「教育を通して世界を開く」というミッションのもと、語学教育や留学プログラムを通じて人々が国境を越えて学び合う機会を提供してきた。その日本法人であるEF Japanは1973年の設立以来、日本と世界をつなぐ教育機関として、多くの留学生を送り出してきた。同社を率いるのが、代表の伊東グローニング七菜氏である。通訳として働くノルウェー人の母と旅行業界に身を置く日本人の父のもとに生まれ、12歳でアメリカへ移住。言葉の壁を前に自分の存在を表現できなくなった。しかし、勇気を出して口にした一つのジョークが、彼女の人生を大きく変えることになる。その体験は「言葉が人と人をつなぐ」という確信となり、世界を舞台にしたキャリアの原点となった。本編では、海外留学EF 代表 伊東グローニング七菜氏に、同社の事業の強みや教育哲学、伊東代表のキャリアについて、お話を伺った。人生を変える留学体験をデザインする―EFの教育哲学まず、EFの事業の特徴とその根底にある教育哲学について、お話を伺った。伊東代表:私たちが提供しているのは、単なる語学学習の機会ではありません。受講生一人ひとりの人生の転換点を共にデザインすること。それが私たちの仕事だと考えています。その屋台骨となっているのが、世界各地の学校を自社で運営し、留学前から帰国後まで一貫して伴走する体制です。EFでは直営学校を中心に教育環境を整え、留学前の不安解消から帰国後の成長まで、学生を一貫してサポートしています。この仕組みがあるからこそ、目の前のお客様一人ひとりに、より深く寄り添うことができています。留学の相談に来られる方の多くは、最初に具体的な国名を挙げられます。もちろんその希望は大切ですが、私たちはそこから一歩踏み込んだ対話を重ねます。その方がどんな景色に心を動かされ、どんな体験を望み、将来どんな自分になりたいのか。そうした価値観を丁寧に紐解いていくと、最初に思い描いていた場所とは全く違う都市が最適解として浮かび上がることもあります。場所を選ぶことは、単に地理を選ぶことではなく、これからの生き方を選ぶことでもあると思っています。だからこそ私たちは、人気ランキングやイメージだけで留学先を決めるのではなく、その人の人生にとって本当に意味のある場所を共に見つけていきたいのです。伊東代表:また、海外へ行く決断には、期待と同時に不安も伴います。そのため私たちはオンライン説明会を定期的に開催し、留学の全体像を丁寧にお伝えしています。さらにオフラインのイベントでは、留学経験者が参加し、「寮から学校までの通学」「現地での友人関係」など、生活に密着したリアルな体験を共有しています。こうした場を通じて、留学をより具体的にイメージしていただくことが大切だと考えています。そして渡航が決まってからも、私たちの伴走は続きます。出発前には渡航者同士の交流会を開き、同じ時期に海外へ向かう仲間とのつながりを育みます。ビザ申請や現地での交通手段などの不安も一つひとつ解消しながら、安心して旅立てるようサポートしています。また渡航前には語学レッスンも提供し、海外生活への準備を整えていただきます。さらに、このサポートは帰国して終わるものではありません。留学を通じて価値観が広がった人たちが、その後もつながり続けるコミュニティも用意しています。海外経験を持つ仲間と出会い、新しい挑戦へ踏み出していく。その循環こそが、留学という体験の価値をさらに高めていくのだと思っています。留学は決して安価な選択ではありません。だからこそ私たちは、それを一時的な「消費」に終わらせてはならないと考えています。出発前の高揚感、現地での葛藤、そして帰国後に得られる自信。そのすべてを人生の資産へと変えていくこと。教育を通じて世界への扉を開き続けること。それこそが、私たちEFの揺るぎない使命です。異国の地で自分を取り戻した、一つのジョークの力英語が話せないことで、自分の存在を表現できなくなった中学時代。アメリカでの孤独な日々を変えたのは、勇気を振り絞って口にした一つのジョークだった。その経験は「言葉が人をつなぐ」という確信となり、世界を舞台にしたキャリアの原点となっていく。伊東代表:私は日本で、通訳として働くノルウェー人の母と旅行業界に身を置く日本人の父のもとに生まれました。転機となったのは12歳の時です。家族でアメリカへ移住することになりました。きっかけはグリーンカードの抽選に当たったことでした。まさに巡り合わせでしたが、それまで東京で送っていた日常は一変しました。現地の中学校での生活は、言葉の壁と向き合うところから始まりました。日本ではクラスのムードメーカーだったはずの自分が、英語が話せないというだけで、自分の性格さえ表現できない存在になってしまったのです。そんな状況を変えたのは、移住して半年ほど経った頃のことでした。勇気を出して拙い英語でジョークを言ったところ、クラスが一斉に笑いに包まれました。その瞬間、「自分をやっと取り戻せた」という感覚がありました。そこから少しずつ友達が増え、生活も楽しくなっていきました。この経験はとても印象深く、今でも自分の原点になっています。大学生の頃には、全く知らない世界に飛び込み、自分が学んできたことをどうにか活かしたいという想いから、デンマークやコスタリカなどへの留学も経験しました。ただ、当時はまだ自分のキャリアを明確に描けていたわけではありませんでした。そんな時、大学のアドバイザーから紹介されたのが、インドネシアの起業家支援NPOでの仕事でした。急速に発展するインドネシアで、スタートアップと投資家をつなぐマッチングの役割を担うことになったのです。政治家や投資家との会食のセッティング、起業家のビジネスプランの壁打ち、イベント運営の裏方など、日々さまざまな業務に携わりました。中でも忘れられないのが、後に巨大ユニコーン企業へと成長する配車サービス「GOJEK」の資金調達の場に立ち会ったことです。0から1が生まれる瞬間の熱気と、資金調達が決まった瞬間の喜び。スタートアップが持つ無限大の可能性を肌で感じた出来事として、今でも強く心に残っています。教育こそが、最も持続可能な社会貢献である――伊東代表のキャリアが導いた結論大手スポーツメーカーN社でキャリアを積みながらも、伊東代表は消費社会の構造に違和感を抱き始めていた。父の死とコロナ禍という人生の転機を経て、彼女は環境問題と向き合うスタートアップへと身を投じる。その経験の中で見えてきたのは、社会を変える鍵としての「教育」の存在だった。伊東代表:インドネシアのNPO法人での活動を終え、日本に帰国後は大手スポーツメーカーN社に入社し、約7年半働きました。N社では、商品企画を担うマーチャンダイジング業務を中心に、Eコマース領域における新たな販売チャネルの構築にも携わりました。ただ、N社でのキャリアを重ねる中で、ある出来事が自分の価値観を大きく揺さぶりました。コロナ禍が落ち着き始めた頃、父が亡くなったのです。その出来事をきっかけに、自分の人生を改めて見つめ直す時間を持つようになりました。それまで私は、商品をつくり、売り、消費され、そして捨てられていくという、いわゆるリニアエコノミーの中で仕事をしていました。もちろん素晴らしいビジネスでしたが、「このままでいいのだろうか」という違和感を覚えるようになったのです。一度きりの人生なのだから、その違和感を抱えたままではなく、もっと社会にとってポジティブな価値を生み出せる仕事をしたいと思うようになりました。ちょうどその頃、休暇を利用して沖縄を訪れ、石垣島でスノーケリングをする機会がありました。そこで目にしたのが、白化し死んでしまったサンゴ礁でした。海水温の上昇や海洋環境の変化によって、かつては豊かだった生態系が失われつつある現実を目の当たりにしました。その光景を見た時、「私はこれまで何を売ってきたのだろう」と自問したことを覚えています。そこから環境や循環型社会について調べるようになり、出会ったのがサステナビリティ領域のスタートアップ「レコテック」でした。廃棄物をデータ化し資源として循環させることで、サーキュラーエコノミーを推進する会社です。レコテックでは社員5人目として参画し、採用や営業、事業開発などさまざまな役割を担いました。企業と連携したパッケージング資材の循環スキームづくりや、語学力を活かした国連関連プロジェクトの資料作成・コミュニケーションにも携わりました。その中で特に印象的だったのが、百貨店のごみ置き場を次世代のリサイクルステーションとして、全面的にリニューアルするプロジェクトでした。百貨店で出る大量の廃棄物を分別しやすくし、「汚い場所」ではなく少しワクワクする「資源の出発点」へと変える取り組みでした。仕組みとしては非常に良いものができたのですが、実際に運用する中で一つの重要な気づきがありました。それは、どんなに優れた仕組みがあっても、使う人が理解し行動しなければ社会は変わらないということです。レコテックの創業者野崎からの教えてでもあったのですが、社会を変えるためには「仕組み」「ルール」「教育」、この三つがそろって初めて大きなインパクトが生まれるのだということを学びました。そして教育こそが、最も持続可能な社会貢献であると強く感じたのです。私はもともと旅が好きで、これまでにもいくつかの国で留学を経験してきました。その体験が人生に大きな価値を与えてくれたことも実感しています。だからこそ「教育」という分野で社会に貢献したいと思うようになりました。そのタイミングでEFとのご縁をいただき、入社と同時に日本法人の代表を務めることになったのです。前編では、海外留学EFの事業の強みや教育哲学、伊東代表のキャリアについて、お話を伺いました。後編では、伊東代表が描く組織作りや今後の展望について、お話を伺います。伊東 グローニング 七菜/2001 年 12 歳の時に家族で米国移住2011 年 インドネシアで NPO 法人でのインターンシップに参加2011-13 年 日本帰国後、ファッション・小売業界で店舗立ち上げを経験2015-22 年 ナイキジャパンへ転職し、デジタルコマース拡大に携わる2023 年 サステナビリティ領域のスタートアップ企業に参画2025 年 海外留学 EF 初の女性日本代表(カントリーマネージャー)に就任【会社概要】会社名イー・エフ・エデュケーション・ファースト・ジャパン株式会社代表/カントリーマネージャー伊東 グローニング 七菜設立1965 年 スウェーデンで設立 (※日本法人は 1973 年に設立)事業内容世界 100 以上の国と地域で国際教育事業を展開する教育機関。世界各国で語学学校を自社運営し、短期・長期の海外留学プログラム、海外大学進学プログラム、高校生向け留学などの国際教育プログラムを提供。また、学校・企業・団体向けの海外研修や教育旅行の企画・運営を通じて、グローバルに活躍できる人材の育成を支援。所在地東京都渋谷区渋谷桜丘町 1-1 渋谷サクラステージ SHIBUYA タワー36 階