インタビュイー:株式会社エンリード不動産 代表取締役 工藤 陣平様2019年に創業された株式会社エンリード不動産は、中古区分マンションの買取再販という競争の激しい市場において、「組織設計」で差別化を図ってきた。知識は横断的に持ちながら、実務は役割ごとに明確に分業することで、営業が営業に専念できる体制を構築。さらに権限移譲を前提とした組織運営によって、若いメンバーが自走する土台を整え、東京・福岡に続き、2026年2月には大阪へも進出するなど、拠点拡大を加速させている。同社を率いる工藤陣平氏は、22歳のときに携わったリノベーション案件で、不動産の価値が再生される瞬間に強い感動を覚え、この事業での起業を決意した。28歳で独立し、一人で事業を回すフェーズを経て、仲間を増やしながら組織化を推進。現在は、日本を代表する不動産の再生企業というビジョンのもと、社名に込めた「縁を導く」という想いを体現しながら、一兆円企業の実現を見据えている。前編では、株式会社エンリード不動産 代表取締役 工藤陣平氏に、拠点展開の意思決定や起業に至る原点、一人の事業から組織へと進化していく過程についてお話を伺った。福岡を二拠点目にした意思決定の裏側──エンリード不動産の判断軸はじめに、エンリード不動産がどのように事業を設計し、拠点を広げてきたのかを伺った。工藤代表:株式会社エンリード不動産は、中古区分マンションの買取再販を行っている会社です。中古区分マンションを仕入れ、リノベーションによって付加価値を高めたうえで再販しています。本社は東京に置き、現在は福岡と大阪にも支店を構えています。二拠点目として福岡を選んだ背景には、いくつかの検討と決断がありました。当初は、市場規模の大きい大阪や横浜が候補に挙がっていました。横浜は東京に近すぎるため候補から外し、大阪で進めるつもりでした。ただ、直前になってふと、「なぜ福岡は候補に挙がっていないのか?」という問いが浮かんできました。私は福岡出身で、大学卒業後に上京した時から、いつか福岡でも事業をやりたいという想いは持っていました。改めて振り返ると、帰省するたびに街が大きく変化していることを肌で感じていました。再開発が進み、新しい建物や外資系ホテルが増え、規制緩和によって高層化も進んでいる。スタートアップの誘致にも力を入れており、どんどん企業や住民も増えている。感覚的に「伸びる街だ」と感じていましたし、福岡には地縁や土地勘もあります。事業を立ち上げるうえで、これは大きなアドバンテージになると判断して、二拠点目を福岡にしました。結果的に、この判断は間違っていなかったと思っています。不動産価格の上昇は、まず東京から始まり、次に東京近郊や大阪へと波及していくのが一般的ですが、その次に来たのが福岡でした。名古屋よりも早いタイミングで価格が上昇し始めたことは、市場としてのポテンシャルを強く感じさせる動きだったと思います。中古区分マンションの平均価格は約2,500万円でしたが、現在では3,200万〜3,300万円まで上昇しています。感覚的に感じていた伸びしろが、数字としても裏付けられたと考えています。母と祖母の背中と、リノベーションへの感動──起業へとつながった原点母と祖母の背中を見て育った工藤陣平氏は、早くから起業を志していた。そして新卒時代に出会ったある物件のリノベーションが、不動産リノベーションで起業するという道へと導いた。工藤代表:起業したいという気持ちは、幼いころからありました。私は小学校低学年の頃に父を亡くして、母と祖母に育ててもらいました。二人は小さな会社を営んでおり、従業員を雇い、毎月給料を支払っていました。子どもながらに、その姿はとても大変そうに見えました。ただそれ以上に強く印象に残っているのは、「責任を背負って働く大人はかっこいい」という感覚でした。誰かの人生を背負いながら仕事をする姿に、自然と憧れを抱くようになっていたのだと思います。今振り返ると、あの環境が「いつか自分も起業したい」という想いの原点になっていたと感じます。大学を卒業し、福岡から東京へと出るとき、私は一つの目標を決めました。30歳までに自分の会社をつくるというものです。漠然と考えているだけでは何も始まらないと思い、あえて期限を設けることで自分を追い込もうと考えました。ただ、その時点では不動産である必要はなく、「起業家になること」自体が当時の目標でした。新卒で入社したのは、株式会社未来都市開発です。中古マンションの買取再販を手がける会社で、現場を徹底的に経験し、不動産の仕事を一から学ばせていただきました。その中で、私の価値観を決定づけた出来事があります。入社して間もない頃、初めて担当した物件がありました。その物件は正直に言ってかなり状態が悪く、「本当に売れるのか」と疑問に思うようなものでした。しかし、当時指導してくれていた先輩は、その物件を見て「絶対に売れるから買おう」と言い切りました。半信半疑のままプロジェクトが始まり、リノベーション工事が進んでいきました。そして工事が終わり、完成した部屋の鍵を開けた瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。あれほど状態の悪かった物件が、まったく別の空間に生まれ変わっていました。その光景を目の当たりにしたとき、言葉にならないほどの衝撃を受け、その瞬間に「この事業で生きていく」と決めました。それ以降は、独立をより強く意識しながら働くようになりました。日々の業務も、目の前の仕事をこなすだけではなく、「将来、自分が会社をつくったときに、この経験がどう活きるのか」という視点で捉えるようになりました。そうした経験を経て、28歳で独立しました。当時は不安や迷いもありましたが、それ以上に、この事業で勝負したいという思いのほうが強かった。今振り返ると、あのタイミングは自分にとって必然だったと感じています。組織への転換──一人で稼ぐ会社から、仲間と成長する会社へ会社の成長の裏側で、工藤陣平氏は組織づくりの難しさに向き合っていた。人を増やすという選択は、会社を前に進めると同時に、新たな課題を浮かび上がらせた。工藤代表:創業当初の一年半、会社は私一人で回していました。仕入れから販売までをすべて担い、案件が決まったときには、一人で喜びを噛みしめる日々でした。一人での経営には気楽さがあります。意思決定は早く、すべてを自分でコントロールできる。一方で、このまま一人で仕事を続けていくことへの不安もありました。数十年先まで同じ働き方を続ける姿が見えたとき、このままではいけないと強く感じました。転機となったのは、最初のメンバーの参画です。前職で一緒に働いていた優秀な人材が加わったことで、会社の意味が変わりました。自分一人の事業ではなく、「人の人生を預かる会社」になった。その瞬間に、経営者としての覚悟が決まりました。現在、会社はアルバイトを含めて75名規模まで拡大しています。今年の春には新卒で13名を採用し、今後も組織をさらに大きくしていく計画です。メンバーの多くは未経験からのスタートであり、不動産業界や営業の経験者はごく一部にとどまります。異業種からの転職者が中心です。もっとも、採用が最初からうまくいっていたわけではありません。人を増やすことを優先するあまり、会社の魅力を強く打ち出しすぎ、実態とのギャップを生んでいました。その結果、入社後のミスマッチが相次ぎ、短期間で離職してしまうケースが続きました。かつては、10人採用して10人が辞めるという状況すら経験しました。この反省から、採用の考え方を大きく見直しました。現在は、あえて仕事の厳しさを正直に伝えています。不動産業界は決して楽ではなく、自ら動かなければ成果は得られません。現場に足を運び、情報を取りにいく泥臭さが求められます。現実を隠さず伝えたうえで、それでも挑戦したい人に来てもらう。このスタンスに変えたことで、定着率と成長の質は大きく改善しました。最初から厳しさを理解しているからこそギャップが生まれにくく、主体的に仕事に向き合うメンバーが増えていったのです。組織づくりにおいて重要なのは、単に人数を増やすことではなく、ミスマッチを防ぎ、定着させ、その上でいかに成長させていくか。その設計こそが、会社の成長を左右すると考えています。前編では、拠点展開の意思決定や起業に至る原点、一人の事業から組織へと進化していく過程についてお話を伺いました。後編では、人が育ち定着する組織設計の考え方や自走する組織を実現するための権限移譲、再生ビジネスを軸とした今後の展望について、お話を伺いました。工藤 陣平/2013年 株式会社 未来都市開発 入社2019年 株式会社エンリード不動産 創業株式会社エンリード不動産 代表取締役。不動産業界にて経験を積んだ後、株式会社エンリード不動産を設立。中古区分マンションの買取再販事業を軸に事業を拡大し、短期間での成長を実現。現在は「日本を代表する不動産の再生企業」を目指し、組織づくりと事業成長の両軸で経営を推進している。【会社概要】会社名株式会社エンリード不動産設立年平成31年代表取締役工藤陣平事業内容不動産のリノベーション再販事業不動産の買取事業不動産売買・仲介・賃貸・コンサルティング事業所在地東京本社:東京都港区東麻布3丁目3-1 アイザック東麻布3・4階福岡支店:福岡県福岡市中央区天神2‐7‐21 天神プライム9階大阪支店準備室:大阪府大阪市北区芝田2-6-27 PMO梅田6階サイトURLhttps://en-lead.co.jp/