インタビュイー:富士ベッド工業株式会社 代表取締役社長 小野 弘幸 様1957年の創業以来、「眠り」という人間の本質的な営みに誠実に向き合い続けてきた富士ベッド工業株式会社。「眠りという人間生活において最も大切なやすらぎの時間を、より豊かに、より快適にする」という理念のもと、約70年にわたり“誠実なものづくり”を貫いてきた。マットレス製造からスタートした同社は、時代の流れを読み、まだ誰も主軸としていなかった「枕」という分野へと舵を切る。創業者の先見の明と、毎日欠かさず試作を重ねる姿勢が、現在の富士ベッド工業の礎を築いた。熟練職人による技術と、社員一人ひとりの探究心が生み出す試作品は、年間およそ300個。そのなかから選ばれた数点が、OEM製品や自社ブランドとして世に送り出されている。「一人でも多くの人に、心地よい眠りを届けたい」という想いを原動力に、富士ベッド工業は“枕づくりの文化”そのものを創造してきた。そんな老舗の舵を取るのが、代表取締役社長・小野弘幸氏。建設業界から転身し、創業者との出会いをきっかけにこの道へ進んだ異色の経歴の持ち主だ。就任直後にはコロナ禍やウクライナ侵攻など、かつてない逆風が押し寄せた。それでも小野氏は、「まず自分が動く」という信念のもと、OEM中心から自社ブランドへの転換、自社工場の建設など、果敢な決断を下してきた。その原点には、創業者から受け継いだ“信頼”と“人を想うものづくり”の精神がある。後半では東京科学大学(旧東京工業大学 伊能研究室)との共同研究による寝姿勢の分析や枕の標準化への取り組み、地域との関わり、そして人を信じて任せる経営哲学から見えてくる、富士ベッド工業のこれからを探る。科学的な分析で快適な眠りを解き明かす―寝姿勢の研究と正しい情報発信東京科学大学(旧東京工業大学 伊能研究室)との共同研究をはじめ、富士ベッド工業は科学的データを枕づくりに取り入れている。なかでも注力しているのが、明確な基準がまだない横向き寝の研究だ。また一般社団法人日本寝具寝装品協会(JBA)の理事として枕の正しい使い方などを伝える活動も行っている。小野社長:私たちが今、力を入れている研究テーマの一つが「横向き寝」です。「仰向け寝」に関しては、枕が首や後頭部と布団の隙間を自然に埋めることが理想だという結論にたどり着きました。しかし「横向き寝」には、まだ明確な答えが出ていません。というのも、横向き寝には人それぞれ多様な姿勢があり、ひとつの“正解”を示すのが難しいのです。うつ伏せに近い横向きで眠る方もいれば、枕が低いと肩を抜いて寝る方、あるいは手を枕の下に入れる方もいます。つまり、個人ごとの骨格や寝癖、体のクセによって“理想の横向き寝”の形は変わってくるのです。だからこそ私たちは、横向き寝を含めた多様な寝姿勢のデータを集め、「人それぞれにとって自然な寝姿勢とは何か」を科学的に解明しようとしています。その取り組みの一環として、東京科学大学(旧東京工業大学 伊能研究室)をはじめとする研究機関と共同研究を行い、専用の測定機器の開発にも挑みました。かつての枕づくりは、職人の感覚や経験に大きく依存していました。しかし今は、「感覚+データ」の両輪で進める時代です。私たちは科学的な分析を通じて、姿勢や圧力の分布を数値化し、確かなエビデンスに基づいた枕づくりを進めています。研究を重ねる中で、特に重要だと分かったのが「入眠時の姿勢」です。人は眠りにつく瞬間に最も大きな負担を体にかけていることが多く、実際の測定では、約60%の人が入眠時に無理な姿勢をとっていることが明らかになりました。このデータは、仰向け寝でも横向き寝でも共通しており、“最初の姿勢”が睡眠の質を左右するという重要な示唆を与えてくれました。特に横向き寝の場合は、個人差が大きく、枕の支え方も仰向け寝とは異なります。それでも根底にある考え方「首・肩・頭の隙間を、自然な形で埋めてあげる」は変わりません。この“支える”という発想を軸に、私たちは横向き寝に最適な枕の形を追い求めています。横向きでも、仰向けでも、どんな寝姿勢の人にも“心地よい眠り”を届けたい。それが、私たち富士ベッド工業の新しい挑戦であり、次の時代に向けた研究テーマなのです。近年高まる“睡眠の質”への関心を背景に、小野社長は枕の正しい使い方やケア方法など、より良い睡眠につながる情報発信を行っている。同時に、枕の標準化にも尽力し、生活者が安心して自分に合う枕を選べる環境づくりを進めているという。小野社長:近年、日本でも“睡眠の質”が大きな関心を集めています。厚生労働省の調査でも、単に睡眠時間を確保するだけでなく、「睡眠の質をどう高めるか」が重要なテーマとして掲げられています。まくら株式会社のまくら白書によれば、睡眠の質が高い人ほど「枕への満足度が高い」という傾向が見られました。一方で、「枕に悩みを抱えている」と答えた人は全体の63%にも上っています。さらに、西川株式会社の『2025年睡眠白書』でも同様の傾向が示されています。「健康のために購入したもの」の1位は寝具であり、なかでも特に枕の購入が多い。また「これから健康のために購入したいもの」として、枕やオーダーメイド枕を挙げた人の合計は50%を超えています。これらの数字が示しているのは、“多くの人が、自分に合う枕を求めている”という事実です。こうした現状を踏まえ、私たちは「枕をつくるだけでなく、正しい知識を伝えること」も使命のひとつと考えています。どれほど優れた枕であっても、使い方を誤れば本来の性能を発揮できません。だからこそ、私は「正しい枕の使い方」や「日々のケアの大切さ」を発信しています。例えば、寝る前に枕の形を軽く整えるだけで、寝心地は驚くほど変わります。また、枕は湿気を吸いやすいので、時々風通しのよい場所で陰干しをすることも大切です。少しの手間で快適さも耐久性も格段に変わる。私はいつも「枕は手をかけた分だけ応えてくれる」とお話ししています。ほんの少しの意識が、心地よい眠りへの第一歩になるのです。加えて、私は一般社団法人日本寝具寝装品協会(JBA)の理事として、枕の標準化にも取り組んでいます。目的は、生活者が迷わず自分に合う枕を選べる環境を整えること。今は情報があふれ、「どれが正しいのか」「どれを選べばいいのか」が分かりづらい時代です。「高価な枕が良いのですか?」と聞かれることもありますが、そうではありません。大切なのは価格ではなく、自分の体に合っているかどうか。その基準を業界全体で明確にし、安心して選べる仕組みを整えていくことが、私たちの責任だと考えています。私たちには、正しい情報を社会に発信し続ける義務があります。「どう使えば長持ちするのか」「どんな枕が自分に合っているのか」―こうした基本的な知識を、業界全体で丁寧に伝えていく。誠実なものづくりと、正しい情報発信。その両輪を通して、一人でも多くの人に“心地よい眠り”を届けていくこと。それが、富士ベッド工業としての私の使命だと思っています。地域と共に歩む―枕がつなぐ文化と信頼地元小学校の工場見学受け入れや、江戸時代の枕を再現するプロジェクト。地域に根ざしながら、日本の眠りの文化を次世代へつなぐ。その背景には、創業以来変わらぬ信頼の精神が息づいている。小野社長:新しい取り組みのひとつとして、地元・赤松小学校の児童を対象に会社見学を受け入れています。この活動を始めたのは、実はコロナ禍の最中でした。先の見えない状況の中で、「子どもたちにものづくりの現場を見て、何かを感じてもらいたい」と思ったのがきっかけです。見学では、枕がどのように生まれていくのかを紹介しながら、子どもたちの質問に答えていきます。ただ見てもらうだけでなく、「体験して感じる」ことを大切にしています。工業用ミシンの迫力を目の前で体感した瞬間、子どもたちの目が一気に輝く。最後には枕の中材を触ってもらい、素材の手触りや重さの違いを感じてもらいます。「これが枕を支えているんだ!」と声を上げる子どもたちの姿に、私たちも自然と笑顔になります。学びと楽しさを両立した体験型の授業として、地域の先生方にも喜ばれています。この活動は、子どもたちにとっての学びであると同時に、私たちにとっても大きな励みです。「すごい!」「どうやってつくるの?」―そんな声に触れるたびに、私たちは自分たちの仕事の意義をあらためて感じます。ものづくりの魅力を伝えながら、実は私たち自身がエネルギーをもらっているのです。これからもこうした活動を続け、未来の担い手に“ものづくりの面白さ”を伝えていきたいと思っています。当社には「枕博物館」という展示コーナーがあります。ここでは、枕にまつわる資料の収集・保存・展示・研究・教育を行っています。その一環として、現在は江戸時代の枕を復元するプロジェクトを進めています。古い資料や図面をもとに、当時使われていた木製枕を一つひとつ手づくりで再現しているのです。工場見学に訪れた子どもたちにも紹介し、昔の人々の暮らしや文化を感じる教材として活用しています。こうした活動を通じて伝えたいのは、枕は単なる日用品ではないということ。そこには、時代を超えて受け継がれてきた技術や知恵、そして“人の思い”が息づいています。子どもたちが枕を通して「ものづくりの尊さ」や「日本の文化」に少しでも触れてくれたら―それが、私たちにとって何よりの喜びです。富士ベッド工業は、地域とともに歩んできた会社です。私自身、この地で暮らし、休日には地元の野球チームに参加したり、近くのお店で食事をしたりしています。社員の多くも同じ地域に住み、まさに“地域と共に生きる企業”です。夜遅くまで社屋の灯りがともっていると、近隣の方々が「その明かりを見ると安心します」と声をかけてくださることもあります。そんな言葉をいただくたび、地域に支えられていることを強く実感します。創業以来、当社が何より大切にしてきたのは「信頼」です。それは先代会長の時代から変わらない理念であり、今も社員一人ひとりがその精神を受け継いでいます。地域に愛され、長く続けてこられたのは、信頼を重ねてきたからこそ。その信頼の上にこそ、富士ベッド工業の“誠実なものづくり”があるのだと思います。信頼でつながる組織―任せる勇気が人を育てる「信頼して任せること」が大切だと言う小野社長。社員一人ひとりを信じ、任せることで力が引き出され、組織が活性化される。一人が動き、次へと信頼が連鎖する。その中で、会社も人も共に成長していく。富士ベッド工業が目指す組織のかたちが、ここにある。小野社長:私は、社員一人ひとりが自分の持ち場で役割を全うしてくれたらそれでいいと考えています。社長である私は社長の仕事を、社員はそれぞれの立場で自分の仕事を―。それぞれが責任を果たせば、組織は自然と動き出します。もちろん、社長として指示を出すことも大切な役割です。けれど私は、「誰をどう動かすか」よりも「まず自分が動く」ことを重んじています。リーダーとは、背中で示す存在だと思うからです。組織には「鍋蓋(なべぶた)型」と呼ばれる形があります。トップがすべてを管理し、社員がその下に押し込められているような状態です。以前の当社も、ひとりの“ヒーロー”に引っ張られて動く組織でした。確かに、そのようなリーダーがいる間は結果が出ます。しかし、その人がいなくなると、組織は止まってしまう。人が育たず、持続的な成長が難しくなる―私はコロナ禍を通じて、そのことを痛感しました。だからこそ、今の富士ベッド工業が大切にしているのは、「信頼して任せる」ことです。社長がすべてを決める会社ではなく、社員を信頼し、社員もまた次の人を信頼する。その“信頼の連鎖”が生まれることで、会社は強くなっていくのだと思います。誰かひとりの力ではなく、全員で支え合いながら成長していく。それが、私が目指す組織の姿です。理想は、社員一人ひとりが自分の役割を理解し、自ら考えて動く会社。現場から自然に意見が上がり、仲間同士が議論しながら新しいアイデアを形にしていく。そのために、定期的に新しい人材を迎え入れ、組織に新しい風を吹かせています。年齢や経験に関係なく、誰もが意見を言える“風通しのよさ”が、強いチームをつくると信じています。結局のところ、会社を動かすのは設備でも制度でもなく、「人」です。そして、その人と人とを結ぶのが“信頼”です。私は、何事も信頼から始めたい。任せたら、信じる。その繰り返しが、会社を前に進めていく。社員たちは皆、誠実で、真っすぐに仕事と向き合ってくれています。だからこそ、私はどんな時も彼らを信じて共に歩みたい。それが、私の経営哲学です。インタビュー後記取材を通じて感じたのは、富士ベッド工業が創業時から受け継いだ誠実さを守りながら、時代に合わせて挑戦を重ねてきた会社だということでした。創業者が切り拓いた枕づくりの道を、時代に合わせて成長させてきた小野社長。印象的だったのは、「まず自分が動く」という言葉です。リーダーとしての責任を行動で示す。その姿勢が、社員の信頼を生み、ものづくりの力へとつながっているのではないでしょうか。68年の歩みのなかで変わらず続くのは、枕を通して人の眠りと向き合う姿勢。その誠実な取り組みが、これからも多くの人の眠りを支えていくのだろうと感じました。