インタビュイー:株式会社山田工務店 代表取締役 山田 耕治様1956年創業の株式会社山田工務店は、静岡県焼津市を拠点に、新築、リフォーム、不動産、レンタル収納スペースなど、住まいと暮らしに関わる事業を展開する地域密着企業である。「狭く深く」の方針のもと、営業エリアを焼津~袋井を中心とした30分圏内に限定。お客さまから相談を受けた際に速やかに対応できる体制を整え、家を建てた後の暮らしまで長く支え続けている。代表取締役を務める山田耕治氏は、一級建築士であり創業者でもある父の背中を見て育ち、大学では建築学を学んだ。大学卒業後はゼネコンで現場監督として経験を積み、1991年に山田工務店へ入社。お客さまから直接感謝される小規模修繕の仕事との出会いが、現在の地域密着経営の原点となった。前編では、株式会社山田工務店 代表取締役 山田耕治氏に、地域密着にこだわる経営戦略や親族内承継への想い、そして経営観を変えた原体験について、お話を伺った。地域に根ざし、暮らしに寄り添う。地域密着の事業戦略山田代表:当社は1956年創業で、2026年に70周年を迎えます。父が始めた小さな工務店からスタートし、私が入社した当時は、先代の社長、弟、母と社員1名の会社でしたが、現在ではグループ全体の社員が130名を超えるまで成長することができました。現在は、リフォーム事業の「はっぴいリフォーム」「はっぴいリノベ」、新築事業の「はっぴいハウス」「HAPPY READY BUILD」、さらにレンタル収納スペースの「はっぴいBOX24」など、複数のブランドを展開しています。当社の事業は、すべてお客さまとの関わりの中から生まれてきました。家を建てた後に設備の不具合が出ることもありますし、家族構成が変わってリフォームが必要になることもあります。土地探しや住み替えの相談を受けることもありますし、リフォームや建て替えの際には荷物を預かってほしいという声もいただきます。だからこそ当社では、新築、リフォーム、不動産、レンタル収納スペースと、住宅に関わる事業を広げてきました。お客さまとの関係を一度きりの取引で終わらせるのではなく、人生に長く寄り添い続けたいという想いが根底にあります。その考え方を象徴しているのが、「狭く深く」という当社の方針です。当社の営業エリアは、焼津・藤枝・島田を中心とした30分圏内に限定されています。住まいに携わる会社にとって本当に大切なのは、家を建てた後も必要な時に迅速に対応できる関係でいることです。どれだけ完成度の高い家を建てても、住み続けていけば必ずメンテナンスは必要になります。実際、リフォームの現場では、施工を依頼した会社が倒産してしまい、どこにリフォーム工事の相談をすればいいかわからないお客さまに数多く出会ってきました。家は何十年も暮らし続けるものです。その長い年月の中で、頼りにしていた会社がなくなってしまえば、お客さまは大きな不安を抱えることになります。家を建てるだけでなく、その後の暮らしを守り続ける。その責任を果たすためには、まず地域の中で信頼を積み重ねることが何より重要です。70年という歴史も、特別なことをして築いてきたわけではありません。地域のお客さま一人ひとりと向き合い、小さな困りごとにも丁寧に対応しながら、信頼を積み重ねてきた結果です。これから先も、「狭く深く」という考え方を大切にしながら、お客さまの暮らしを支え続けていきたいと思っています。父への憧れが導いた宿命。親族内承継に込めた決意幼い頃から一級建築士の父の背中を追い続けてきた山田代表。大学卒業後、ゼネコンで経験を積む中で、大きな転機が訪れる。 山田代表:一級建築士であり、当社の創業者でもある父の長男として、私は小さい頃から「将来は跡継ぎになってほしい」と言われながら育ちました。当時はまだ一級建築士が非常に少ない時代で、父の姿は私にとって大きな誇りでした。小学校の卒業文集にも「一級建築士になる」と書いていたそうです。私の妻は小学校の同級生なのですが、いまでも「本当に卒業文集の通りになったね」と言われます。 父の背中を追って自然と建築の道を目指すようになり、大学では建築学科へ進学し、その後一級建築士の資格を取得しました。大学卒業後はゼネコンへ入社し、8年間現場監督としてさまざまな建築現場を経験しました。大きな建物の施工管理や工程管理など、ダイナミックな仕事を経験する中で、建築の基礎を徹底的に学ばせてもらいました。年齢的にも少しずつ中堅と呼ばれる立場になり、順調なキャリアを歩んでいました。ただ、私の中にはずっと「いつかは家業を継ぐ」という想いがありました。自分で商売を動かしたいという気持ちも強かったですし、いつか地元へ戻ることは自然な流れとして考えていました。そんな中で、父が病気を患いました。もともと父は、自分の代で会社を閉じることも考えていたようです。ただ、家族で何度も話し合う中で、父が守ってきた看板をここで終わらせるわけにはいかないという想いが固まり、継ぐ決断をしました。 弟が先に山田工務店へ入社して、私もゼネコンでの最後の仕事を見届けたのち、1991年に入社しました。入社当時はゼネコンで培った経験を地元で活かしながら、自分の手で会社を成長させていきたいという想いでいっぱいでした。父から引き継いだ山田工務店をさらに大きな企業にするべく焼津に戻ってきたのです。経営観を変えたトイレ修理。真の喜びに気づいた瞬間ゼネコンで培った経験を生かし、大規模物件の受注に力を注いでいた山田代表の価値観を一変させたのは、意外にもトイレ修理の現場だった。山田代表:山田工務店へ入社した当初、私はゼネコン時代の経験を活かして、大きな建物の仕事を増やしたいと考えていました。大きな建物をつくることが、会社を大きくすることだと思っていたのです。青年会議所や商工会議所の会合にも積極的に参加し、人脈を広げながら営業をしていました。幹線道路沿いの大型案件なども一生懸命取りにいきましたし、営業から設計、現場管理や引き渡しまで、ほとんどすべてを自分一人でやっていました。売上も上がり、商売としては順調だった一方で、心のどこかに満たされない感覚があったのです。そんな中で、父の代から続いていた小さな修繕工事に携わりました。雨漏りの修理やトイレ交換など、「どこへ頼めばいいかわからない」とお客さまが困っている仕事です。当時は、小規模修繕を専門的に引き受ける会社も少なく、お客さまは相談先そのものに困っていました。特にトイレ修理のような仕事は、当時の業界では決して評価の高い仕事ではありませんでした。「雪隠(せっちん)大工」という言葉があったくらいで、腕の悪い大工がやる仕事だという風潮も少なからずあり、自分から進んで取り組む業者も多くありませんでした。私自身も当初は、大きな建物を手掛けることこそ価値があると思っていました。ところが、実際に雨漏りの修理やトイレ交換といった小規模修繕に携わってみると、お客さまが本当に喜んでくださります。私の目を見てありがとうと言っていただける。大きな建物の仕事では感じられなかった、お客さまとの近さがそこにはありました。目の前のお客さまが困っていて、その困りごとを解決することで直接喜んでいただけるという実感が、私の価値観を大きく変えていったのです。そこから、私の中で商売に対する考え方が大きく変わりました。会社を大きくすることだけを追いかけるのではなく、お客さまに喜んでいただける仕事を積み重ねることが一番大切なのではないかと思うようになったのです。そこで立ち上げたのが、「はっぴいリフォーム」というブランドでした。山田工務店という社名だけでは、何をしている会社なのかお客さまには伝わりづらい。だからこそ、リフォームの相談ならこの会社に頼めば安心だとすぐにわかる名前を掲げたんです。「全ての人にHAPPYを」という言葉の原点は、この頃に経験したお客さまからの「ありがとう」にあります。目の前のお客さまに喜んでいただいた積み重ねが、いまの山田工務店を形づくっています。前編では、地域密着にこだわる経営戦略や親族内承継への想い、そして山田代表の経営観を変えた原体験について、お話を伺いました。後編では、職人との葛藤を乗り越えながら築いた組織づくりや社員教育への想い、そして100年企業を見据えた未来構想について、お話を伺っていきます。山田 耕治/株式会社山田工務店 代表取締役。静岡県焼津市出身。1959年生まれ。工務店の長男として育ち、大学卒業後はゼネコンに入社し約8年間現場監督として経験を積む。その後、家業である山田工務店へ入社。地域密着を掲げ、焼津市から掛川市までの限られたエリアに特化した住宅事業を展開し、創業70年を超える企業の成長を牽引している。【会社概要】会社名株式会社山田工務店創業昭和31年代表取締役山田 耕治事業内容新築事業 HAPPY HOUSE企画型注文住宅 JUST LUCKY HOUSEリフォーム事業 はっぴいリフォーム建売・不動産事業 HAPPY READY BUILDレンタル収納事業 はっぴいBOX24健康事業 FIT-EASY所在地静岡県焼津市柳新屋648-2