インタビュイー:株式会社HIROTSUバイオサイエンス 代表取締役社長 広津 崇亮様株式会社HIROTSUバイオサイエンスは、線虫の嗅覚を活用したがんリスク検査「N-NOSE®」の研究・開発・販売を行うバイオサイエンス企業である。N-NOSE®は、尿に含まれる「がん特有の匂い」を線虫が嗅ぎ分ける性質を利用し、全身23種類のがんリスクを調べる世界初の技術だ。注射や内視鏡を必要とせず、自宅で採尿してポストに投函するだけで提出できる手軽さを備え、健康な人が日常の中で受けられる「がん検査の入口」として普及を目指している。同社を率いるのが、代表取締役社長の広津崇亮氏だ。広津氏は、もともとがんの専門家ではなく、線虫の嗅覚を専門に研究してきた科学者である。大学教員として基礎研究に取り組む中で、線虫の優れた嗅覚を社会に役立てる可能性に気づき、がんリスク検査への応用を発想。2016年にHIROTSUバイオサイエンスを創業し、研究成果を論文で終わらせるのではなく、自ら社会実装まで担う道を選んだ。後編では、株式会社HIROTSUバイオサイエンス 代表取締役社長 広津崇亮氏に、N-NOSE®を社会に届けるための量産化と販路開拓、テレビCMを通じた認知拡大、そして「がんが怖くない世界」に向けた今後の展望について、お話を伺った。量産化と販路開拓、社会実装までの道のり 研究成果を社会に届けるには、技術の証明だけでは足りない。研究室での手作業を量産できる仕組みに変え、新しい検査の価値を市場に伝えていく必要があった。 広津代表:N-NOSE®を社会に広げていくうえで、最初に大きな壁になったのは営業ではなく、量産化でした。研究室の中で手作業でできていたことも、実際に事業として多くの人に届けるためには、機械化や自動化が必要になります。しかも、研究の現場では簡単に見える作業ほど、機械に置き換えようとすると難しいんです。人の手は思っている以上に精巧で、それを自動化するには、工程を一つずつ分解し、再現できる仕組みに落とし込まなければなりません。私たちも、他社と協力しながら自動化設備をつくり、量産できる体制を整えていきました。量産化の体制が整ってきて、ようやく本格的に販売へ踏み出せるようになりました。ただ、そこからも簡単ではありませんでした。がん検査という市場は、長い間変化のない領域です。多くの人が受けている検査は、30年前から大きく変わっておらず、精密検査に近い位置づけのものが中心でした。その中で、線虫の嗅覚を使った「健康なうちに受けるがん検査の入口」を広げていく必要がありました。全身のがんリスクをスクリーニングして、必要があれば次の検査につなげていく。この考え方をどう伝えればよいのか、どの販路がよいのか、最初はすべて手探りでした。医療機関で扱ってもらうのがよいのか、インターネットで販売するのがよいのか、法人向けに導入してもらうのがよいのか。新しい検査であるがゆえに、正解がありませんでした。今でこそ、ネットでがんリスクを調べる検査を販売することも少しずつ広がっていますが、当時はそのような前例もほとんどありませんでした。法的に問題がないか、生活者に受け入れられるのか、どのように認知を広げるのか。一つひとつ確認しながら進めていきました。研究成果を事業にするというのは、技術を証明するだけでは終わりません。量産化し、検査体制を整え、販売方法を考え、社会に受け入れられる形にしていく必要があります。研究室で生まれた技術を、実際に人々が使えるサービスに変えていく。その過程には、研究とはまったく違う難しさがありました。それでも、この検査を必要としている人に届けるためには、一つひとつ壁を越えていくしかなかったのだと思います。テレビCMから法人導入へ。N-NOSE®普及の転機量産化の体制を整えた後、次に向き合ったのは、N-NOSE®をどう社会に知ってもらうかという課題だった。テレビCMによる認知拡大と、その後の法人導入・黒字化までの歩みについて、お話を伺った。 広津代表:新しい検査は、技術が優れているだけでは広がりません。まず存在を知ってもらい、「受けてみよう」と思っていただく必要があります。その認知を広げるうえで大きな役割を果たしたのが、テレビCMでした。線虫をキャラクター化した「線虫くん」のCMを展開したことで、N-NOSE®の認知は大きく広がりました。テレビCMは売上にも貢献しましたし、個人向けだけでなく、法人導入にもつながりました。企業の福利厚生として導入いただく際にも、「テレビで見たあの検査ですね」と言っていただけることが増え、何も知られていない状態で営業するのとは大きく違いました。一方で、テレビCMには大きなコストもかかりました。認知を広げ、売上を伸ばすという意味では効果がありましたが、同時に大きな赤字にもつながりました。売上は伸びているけれど、広告費も大きい。振り返ると、成功でもあり、苦しい状況でもありました。その後は、テレビCMで得た認知を活かしながら、デジタル施策を通じて申し込みにつなげていく形に切り替えていきました。 結果、コスト構造も改善し、黒字化につながっていきました。また現在では、法人向けの導入も広がっており、約2,500社に福利厚生目的で導入いただいています。従業員の健康を守るために、企業がN-NOSE®を活用する。これは、私たちが想定していた大きな広がりの一つです。個人が自分で申し込むだけでなく、企業を通じて検査を受ける機会が増えれば、がん検査の入口はさらに身近になります。新しい市場をつくるというのは、商品を売るだけではありません。まず知ってもらい、検査の意味を理解してもらい、「受けてみよう」と思っていただく必要があります。テレビCMは、その最初の認知を広げるうえで大きな役割を果たしました。そして今は、その認知をもとに、様々な販路へ広げていく段階に入っていると考えています。がんが怖くない世界へ。HIROTSUバイオサイエンスの今後の展望N-NOSE®の展開は、個人向け・法人向けにとどまらない。自治体や医療機関、ペット向け検査、さらにはアメリカを中心とした海外市場へと可能性は広がっている。 広津代表:当社では、今後3年間で売上100億円を目標としています。現在は個人向けと法人向けが成長している段階ですが、販路はそれだけではありません。自治体で活用していただく形もありますし、医療機関で扱っていただく形もあると考えています。N-NOSE®は、まず入口として受けられるがんのスクリーニング検査です。だからこそ、生活者に直接届けるだけでなく、企業、自治体、医療機関など、さまざまな接点を通じて広げていける可能性があると考えています。もう一つ、今後の柱になる可能性があるのが、ペット向けのがんのリスクを調べる検査です。人間だけでなく、犬や猫もがんになります。ただ、これまでペットには、がん検査を受ける習慣がほとんどありませんでした。症状が出てから動物病院に行き、そこでがんが見つかることが多かったんです。そこで、犬や猫でも尿を使ってがんリスクを調べられる検査を開発しました。ペット向けの検査も、まだ売り方を模索している段階です。動物病院の先生方に理解していただく必要がありますし、飼い主の方々にも「ペットにもがんのリスクを調べる検査がある」ということを知っていただかなければなりません。人間向けの検査と同じで、まずは認知活動が必要です。家族の一員であるペットの健康を守りたいというニーズは確実にあるので、時間はかかるかもしれませんが、将来的には大きな柱になり得る領域だと考えています。海外展開も、これから本格的に進めていきます。特にアメリカは市場が大きく、医療費も高いため、N-NOSE®の価値を伝えやすい国だと思っています。N-NOSE®は、全身23種類のがんリスクを調べられるにもかかわらず、価格を抑えられることが大きな特色です。がん検査の選択肢が十分にない国や地域にとっても、安くて精度の高い検査は必要とされています。だからこそ、世界に広げていく意義があると思っています。私が最終的に目指しているのは、がんが怖くない世界です。がんは、早期に見つけることができれば治療できる可能性が高くなります。ただ、既存の検査では早期発見が難しい場合も多く、検査そのものに対する心理的なハードルもあります。だから、健康な時からN-NOSE®を定期的に受け、リスクが分かったら次の検査に進む。そういう流れが当たり前になれば、がんとの向き合い方は大きく変わると思います。今は、ある程度の年齢になると、多くの人が「がんになったら嫌だな」という不安を抱えています。でも、毎年N-NOSE®を受けることで、早い段階で気づける可能性が高まる。見つかっても早期であれば、治療に進むことができます。そうなれば、がんは今ほど怖い病気ではなくなるかもしれません。線虫という小さな生物の力を使って、世界中の人が安心して暮らせる社会をつくっていきたいです。インタビュー後記今回は株式会社HIROTSUバイオサイエンス 代表取締役社長 広津崇亮氏にお話を伺いました。線虫の嗅覚という基礎研究から、がん検査の入口となる「N-NOSE®」を生み出し、さらに研究成果を社会に届けるために自ら経営者となった歩みが印象的でした。発明を論文で終わらせず、資金調達、量産化、認知拡大まで一つひとつ壁を越えていく姿から、社会実装とは技術だけでなく、届け切る覚悟によって実現するものなのだと学ばせていただきました。広津崇亮/山口県生まれ、京都府育ち。東京大学大学院理学系研究科修士課程修了後、サントリー株式会社を経て、東京大学大学院博士課程へ進学。線虫の嗅覚研究に取り組み、2000年には研究論文が英科学誌『ネイチャー』に掲載される。その後、大学研究機関などで研究を重ね、2016年に株式会社HIROTSUバイオサイエンスを創業。2020年線虫の嗅覚を活用した世界初のがん検査「N-NOSE」を実用化し、“研究成果の社会実装に挑む科学者CEO”として、2025年8月には自宅で採尿しポスト投函で提出できる検査体制を全国で開始するなど、がん検査の常識を変える新たな仕組みづくりを進めている。【会社概要】会社名株式会社HIROTSUバイオサイエンス設立年2016年8月代表取締役社長広津 崇亮事業内容生物診断研究:線虫および線虫嗅覚センサーを利用したがん検査の研究・開発・販売所在地東京都千代田区紀尾井町4-1 ニューオータニガーデンコート22階サイトURLhttps://hbio.jp/?utm_source=news-media&utm_medium=referral&utm_campaign=integrity-sbp_interview