インタビュイー:石塚株式会社 代表取締役社長 熊谷 弘司様1955年、プラスチックが日本で生産され始めて間もない時代に創業された石塚株式会社。創業以来70年にわたり、塩化ビニールを中心とするプラスチック製品の加工・製造・販売を手がけてきた。現在は主力商品であるビニールカーテンを軸に、製造現場や物流施設の労働環境の改善に取り組んでいる。2023年にはビニールカーテンの卸売・加工・施工において、売上業界No.1を達成。導入実績は全国1,000件を超え、熱中症対策や浸水・水害対策、防虫対策など、現場で働く人々の環境改善に幅広く貢献している。3代目である熊谷弘司氏は東京理科大学を卒業後、総合化学メーカーを経て、2010年に家業へ入社した。2018年に代表取締役社長に就任すると、経営計画書の導入や評価制度の刷新など、会社の構造改革を推進。2023年度には千代田ビジネス大賞を受賞した。さらに2026年1月には、自社の事業承継における実体験をもとに、中小ファミリー企業向けの親族内承継支援コンサル事業を新たに開始するなど、会社の変革を続けている。後編では、石塚株式会社 代表取締役社長 熊谷弘司氏に、コロナ特需後に見えた組織課題や、経営計画書・評価制度による意識改革、親族内承継支援事業に込めた想いについて、お話を伺った。コロナ特需が露呈させた「組織の甘え」と、経営計画書による意識改革コロナによる予期せぬ特需は業績を押し上げたが、同時に、組織に依存心を生むリスクを孕んでいた。その危機感から、熊谷代表は経営方針を明文化し、全社員との共通認識の構築に乗り出した。熊谷代表:コロナ禍によって、当社には大きな特需がありました。きっかけは、コンビニや小売店のレジ前に設置された飛沫感染防止用のビニールシートです。全国の店舗で一斉に導入が進んだことで、当社にも処理しきれないほどの受注が押し寄せました。当初はシフトを組んで対応しようとしましたが、それも3日と持ちませんでした。電話が鳴り止まない状況が続き、休日にも社員に出社をお願いしながら、なんとか乗り切った時期でした。しかし、その特需は長く続くものではありません。特需が落ち着いたあと、当社には大きな課題が残りました。座っていても注文が入る状態が続いたことで、自分たちから仕事を取りにいく営業活動の感覚が弱まっていたのです。特需によって生まれた売上を、自分たちの実力のように受け止めてしまう空気もあり、特需がなくなると業績は徐々に下がっていきました。そのとき、私自身の経営のあり方も見直さなければならないと感じました。それまでの私は、社員が会社を好きになり、愛社心を持ってくれれば、自然と自分たちで会社の成長に向けて考えて動いてくれるはずだと考えていました。もちろん、会社を好きになってもらうことは大切ですが、それだけで組織が自律的に動くわけではありません。むしろ、私の考え方が曖昧だったことで、社員がそれぞれ都合のよい形で受け止めてしまう余地を生んでいたのではないか、という反省がありました。会社として何を大切にし、どこへ向かうのか。どのような姿勢で仕事に向き合うのか。それを経営者が明確に示さなければ、組織は同じ方向を向くことができないのだと痛感しました。そこから、会社の方針をより明確に伝えるために、経営計画書の作成に取り組みました。それまでも、採用の場で自分の考えを伝えたり、個別面談で一人ひとりと会社の方向性を共有したりしていました。社内ブログも書いていました。しかし、振り返ると、それは「伝えているつもり」になっていただけだったのかもしれません。経営計画書を冊子にして全社員に配ったとき、私は「1年後に回収するので、名前を書いておいてください」と伝えました。どれだけ読まれているのかを確認したかったからです。実際に回収してみると、8割ほどは開かれた形跡すらありませんでした。そのとき、社内ブログを書いていた頃も、おそらく十分には読まれていなかったのだろうと改めて感じました。経営計画書には、会社はオーナー家のためだけにあるものではないこと、みんなで稼いだ利益はみんなに公平に配分することを明確に記しています。方針を示すことは経営者の役割です。しかし、どれだけ言葉にしても、伝わっていなければ意味がありません。この経験を通じて、伝えることと伝わることは違うのだと学びました。そして、経営者の考えを一度示して終わりにするのではなく、繰り返し共有し、組織の判断基準として根づかせていく必要があるのだと考えるようになりました。役職に安住しない組織へ。自身にも課した「退任条件」の真意組織の停滞を防ぐには、トップから若手までが進化し続ける必要がある。熊谷代表は自分にさえ「退任条件」を課すことで、全員が公平に挑戦できる風土を醸成した。熊谷代表:経営計画書を導入し、組織の方向性を明文化していく中で、評価制度の見直しにも取り組みました。その中で強く意識したのが、役職をゴールにしないということです。それまでの組織の中には、一定の年齢や役職に到達したことで、そこを自分のゴールのように捉えてしまう状況が見受けられました。この年齢でこの役職なら、もうここまででいい。そうした意識が生まれると、それ以上の努力や変化が起こりにくくなります。しかし、世の中は常に変化しています。自分たちが変わらなければ、現状維持をしているつもりでも、相対的には後退していくことになります。たとえば部長という役職も、就任した時点では役割を果たせていたとしても、自分自身が変化しなければ、ある時点からその機能を十分に果たせなくなっていく。そうした状況が散見されたため、役職をゴールにしない方向へ制度を変えていきました。ただ、社員に対してそのような制度を設ける以上、自分自身にも同じことが言えると考えました。当社は、私が100%の株主であり、代表取締役でもあります。その立場だけを見れば、法令を守っている限り、会社の意思決定について最終的な責任と権限を持つ立場です。しかし、その状態に甘えてしまえば、社員に対して示しがつきません。役職に安住している社員に対して若手が感じるような違和感が、今度は私自身に向けられてしまう可能性もあります。社員には変化を求めながら、経営者だけが例外でいるわけにはいかない。そう考え、自分自身にも代表取締役の退任条件を設けることにしました。退路を断つというのは、就職活動の時だけの話ではありませんでした。社長になってからも、自分に逃げ道を作らないことで、やり続けるしかない状況を自ら作ってきたのだと思います。退路を断たなければ、最後までやりきれない。退任条件を設けたのも、そうした自分の性格を自覚していたからです。組織をフェアに保つことは、言葉で言うほど簡単ではありません。トップが自分自身を律することなしに、社員にだけ変化を求めても、組織は納得しません。社員にゴールを認めないのであれば、自分にもゴールはない。その原則を制度として明文化することで、組織全体に対して、経営の姿勢をフェアに示したいと考えました。承継の痛みを、次の支援へ。親族内承継に向き合う新規事業の原点親族内承継は、経営の引き継ぎであると同時に、家族の感情とも向き合う営みである。自社の承継で得た学びをもとに、熊谷代表が新たに始めた支援事業の背景を伺った。熊谷代表:2026年1月から新規事業として始めた親族内承継支援のコンサルティング事業は、当社自身が経験してきた事業承継の歴史から生まれたものです。当社は、祖父が創業し、父が2代目、私が3代目を務めるファミリー企業です。親族内承継を2度経験してきましたが、最初の承継では大きな課題を残しました。株式や経営の引き継ぎが十分に整理されていなかったことで、親族間の関係にも深い影響が及んでしまったのです。祖父が亡くなった時、当社には100人以上の株主がいました。社外の取引先や社員にも株式を持ってもらっていたため、承継のタイミングでそれらを一つひとつ整理していく必要がありました。社外の株主には個別に説明し、社員については持株会を廃止し、退職時に会社が株式を買い上げるルールを設けました。株式の整理だけでも非常に大きな負担でしたが、それ以上に難しかったのは、親族間の感情の問題でした。創業者やカリスマ経営者がいる間は、周囲もその存在に一目置いています。しかし、その信頼や敬意が、後継者にそのまま引き継がれるわけではありません。「事業が順調だから大丈夫」「家族仲がいいから大丈夫」と考えていても、承継をきっかけに関係性が変わることがあります。そのことを、私たちは身をもって経験しました。その一連の経験を見ていたからこそ、私の代では同じことを繰り返したくないという強い想いがありました。家族も同じ気持ちでいてくれたため、家族全員で同じ方向を向き、もめない承継をどう実現するかを考えることができました。その中で大切だと感じたのは、株主、経営、家族という3つを分けて考えることです。そして、問題が起きてからではなく、まだ関係が良好な段階から準備を始めることでした。世の中には、ファミリー企業の承継で同じように悩んでいる方がたくさんいらっしゃいます。親族内承継は、単なる経営の引き継ぎではありません。家族や親族としての感情的なつながりがあるからこそ、経営課題よりも感情の問題が大きくなってしまうことがあります。私自身、これまでさまざまな専門家に相談してきました。ただ、知識として事業承継を理解していることと、実際に親族内承継を経験していることは違います。だからこそ、当事者として経験してきた私たちが相談に乗ることには意味があると考えています。承継は、もめてから相談するのでは遅いことがあります。まだ何も起きていない段階から第三者を入れ、感情と経営を分けて整理していく。その支援を通じて、嫌な想いをする家族を一人でも減らしたい。そして、次の世代へ受け継がれるべき良い会社が、より良い形で永続していくために、当社の経験を役立てていきたいと考えています。編集後記今回は、石塚株式会社 代表取締役社長 熊谷弘司氏にお話を伺いました。第一志望企業への不採用を機に家業を継ぐ道を選び、入社後は新規開拓によって自らの実力を示してきた熊谷氏。社長就任後には、自身にも退任条件を設けるなど、節目ごとにあえて退路を塞ぐことで、行動し続ける環境をつくってきました。退路を塞ぐことは、無謀な決断ではなく、自分の弱さや迷いを理解したうえで、覚悟を行動へと変えるための選択なのだと感じます。決意は心の中だけで完結するものではなく、自ら逃げ道をなくし、結果が出るまで向き合い続けることで形になるのだと学ばせていただきました。熊谷 弘司/石塚株式会社 代表取締役社長。1982年東京都生まれ。大学卒業後、アキレス株式会社に入社。営業と財務の現場を経験した後、2010年に創業家である石塚株式会社へ入社。中国工場の立ち上げや営業改革などを担当し、2018年、35歳で三代目代表取締役社長に就任。「社員とその家族の生活の安定と向上」を経営理念の中心に据え、環境整備事業を展開する同社の成長を牽引。営業活動の科学化やデータに基づく組織運営を推進するとともに、利益だけでなく組織文化や人材育成を重視した「結果と状態を両立する経営」に取り組んでいる。【会社概要】会社名石塚株式会社設立昭和30年5⽉2⽇代表取締役社長熊⾕ 弘司事業内容・産業用プラスチック製品の販売・加工・施工・文具・事務用品の製造・販売・販売促進用グッズの製造・販売所在地東京都千代田区神田和泉町2‐29