インタビュイー:株式会社キミカ 代表取締役社長 笠原 文善様昆布やワカメなどの海藻から抽出される天然食物繊維「ぬめり」成分—アルギン酸。この素材の可能性を追求し、開発・製造を一手に担うのが、株式会社キミカだ。食品や生活用品はもちろん、内服薬、止血剤、さらには再生医療の分野に至るまで、アルギン酸は現代社会のさまざまな場面で不可欠な役割を果たしている。「ワンユーザー・ワンスペック」。この独自の開発哲学のもと、キミカはユーザーごとのニーズに細やかに応えることで、実に約700種類以上もの製品を生み出してきた。価格競争に左右されない強固な事業基盤は、こうした徹底した顧客志向の積み重ねによって築かれている。さらに、20年以上にわたり自己資金で挑み続けてきた再生医療分野では、ついに国の医療用承認段階に到達。その歩みには、創業家が代々受け継いできた「人を大切にする」「嘘やごまかしは許さない」という揺るぎない精神が脈々と息づいている。社員育成においても、その哲学は一貫している。独立独歩の道を貫きながら、確かな成長を遂げるキミカ。その“強さの本質”とは何か。後編では、笠原社長にキミカの成り立ちや、人材育成についての考えを伺った。戦時下の創業からオンリーワン企業へ1941年に創業し、熾烈な競争を経て2017年に国内唯一のアルギン酸メーカーとなったキミカ。なぜ、キミカだけが生き残ることができたのか。笠原社長:当社の創業は太平洋戦争が始まった1941年です。当時、日本は連合国側から経済封鎖を受け、石油はもちろん、化学工業向けの資源も全く入ってこなくなりました。日本にあるもので全てをまかなわなければならないという状況の中、海藻に含まれるヨウ素やカリウム、そしてアルギン酸を利用できないか、ということで始まりました。終戦後、軍需用途がなくなったことから、当社はアルギン酸に特化することになりました。当時、GHQ(連合国軍総司令部)が「日本の産業復興には海洋資源を活用することが有効だ。アルギン酸もその候補になるだろう」と言ったのです。この発言をきっかけに、多くの企業が一斉に参入してきました。当時は戦地から社員たちが復員してきており、企業は雇用を確保しなければならない状況でした。そうした時にGHQの発言があったものですから、「これは有望だ」と考えたのでしょう。また、当社には技術公開命令が出され、一時はまるで博覧会のような状態だったと聞きました。2017年に最後のライバルが撤退し、当社がオンリーワンの存在となったのですが、それまでの道のりは本当に大変でした。こちらの領域に参入されることもあれば、相手が進出した領域をこちらが取りに行くこともありました。まさに攻防の連続で、苦しい時代が続きました。苦しい状況の中で生き残れたのは、アルギン酸の第一人者という自負と、我が子を育てるような気持ちだという笠原社長。笠原社長:他社はアルギン酸事業をあくまで事業の一つとして取り組んでいました。ですから、状況が厳しくなると撤退を視野に入れます。当社はアルギン酸一筋でやっていますので、他に主力事業があるからそちらを優先するという選択肢はありません。だからこそ、苦しい時でも取り組み続けることができたのです。それに、私の父が製法を開発し、アルギン酸の生みの親、第一人者という自負を持って研究開発に臨んでいました。アルギン酸をビジネスの種としてだけ見ていたら、将来芽が出るかどうかわからない開発に膨大な投資をすることはできません。当社では、我が子を育てるような気持ちでアルギン酸に向き合っています。それも他社との違いでしょう。親が我が子の教育にお金をかけるのは、その子の将来への投資です。当社にとってのアルギン酸は我が子のようなものです。親であれば真剣に子育てを行います。我が子と思えば「なんとか育てよう」という気持ちになります。だからこそ本気度が違いますし、「うまくいかないから諦める」という選択肢もないのです。このような想いをもとに、当社は常にアルギン酸の新しい可能性を探求し続けてきました。既存用途でのシェアを奪い合うのではなく、新たな用途を開発し、一歩先を行くことに注力してきたのです。アルギン酸は大切に向き合っていると、様々な表情を見せてくれます。「こんな使い方ができるのか」と新たな可能性を示してくれることも、開発を続けられる理由です。キミカスピリット10の約束が生まれたわけ笠原社長が考える“人を大切にする”とは。そして“人を大切にする”会社とは何か。笠原社長:キミカには「キミカスピリット10の約束」という独自の行動指針があります。これは単なるスローガンではなく、社員一人ひとりが日々の仕事の中で指針とするものです。制定のきっかけは数年前の「働き方改革」でした。従来のやり方を見直す中で、単に労務制度を整えるだけではなく、むしろこれまで以上に自社の精神を大切にすべきだと考えたのです。その想いから掲げた10の約束。その一つ目が 「自分を愛し、家族を愛し、仕事を愛する」 です。なぜ1つ目に掲げたかというと、人間には誰しも弱い部分があるからです。例えば、「あの時ごまかした」「手を抜いた」といったことは、誰よりも自分自身が一番分かっています。だからこそ自分を愛することは難しいのです。それでも、「そういう自分も含めて認めていこう」と社員に伝えたかったのです。さらに、社会人として家族の幸せを守り愛する責任は、自分自身にあります。そして、自分たちが手がける製品は、我が子のように愛情を込めて育て、世に送り出していこう。そうした考えを明文化したかったのです。当社のルーツは、私の四代前が起こした機械製糸会社にさかのぼります。蚕の繭から生糸を作る事業ですが、繭は農産物ゆえに価格が大きく変動します。糸相場の影響も受け、原料も製品も激しく値が動く厳しい業界でした。そのため創業初期には二度、破綻寸前にまで追い込まれることがありました。その際の対応が、今も社風を形作っています。まず従業員に給料と退職金を支払い、次に納入業者など一般債権者へもすべて返済、最後に資本家や銀行へ頭を下げました。これを二度繰り返したのです。失敗しても関わった人々に嘘をつかず正直に向き合った結果、後に「もう一度チャンスをやろう」と銀行から再起の機会を与えられました。この経験が「絶対に嘘やごまかしをしてはいけない」という教訓となり、キミカスピリット3つ目の「嘘やごまかしを許さない」へと受け継がれています。また組織の中で、「テキトーにやればいい」「楽をしよう」という空気を認めてしまうと、それがあっという間に蔓延してしまいます。そうなると、正直でやる気のある人の気持ちをくじいてしまい、真面目にやるのがばかばかしいと思われてしまうのです。だからこそ、お互いに嘘やごまかしはしない、しっかりやるという姿勢を徹底する必要があります。そうしなければ、せっかく正直で優秀な人材が会社から離れてしまう。いい人材に定着してもらうためには、嘘やごまかしを一切許さないという社風を徹底しなければならないのです。よく「理想の社員像とは?」と質問を受けます。もちろん能力が高いに越したことはありませんが、それ以上に求めているのは嘘をつかない、正直・誠実な人です。そういう人たちと一緒に会社を発展させていきたいのです。そのために伝えているのは“自分を大切にすること”です。名もない一社員といった言い方を耳にすることがありますが、名前のない人はいません。誰もが親から想いを込めて授けられた名前があり、大切に育てられてきた存在です。その自分自身をまずは大切にしてほしい。ひいてはそれが、社員同士、お互いを尊重することにつながると思うのです。もう1つ大事にしているのが、“我が子のように”という考え方です。社員が入社してきた時、それが我が子だったら、周りの人たちにどう接してほしいと思うでしょうか? まずは優しくしてほしいと思うでしょう。だから私たちは優しく接します。ですが優しいだけではなく、必要な時には指導しなければいけません。若い社員と面談すると「みなさん優しく接していただき、ありがたいです」と言ってくれますが、私はそこでこう伝えます。「私が最初に勤めた会社は、環境も上司も厳しかった。でも振り返ると、その経験が一番心に残っているし、あの人のおかげで成長できた、感謝している」と。親であれば、我が子が社会人として成長するためには、言うべきことは言ってもらい、正すべきことは正してもらいたいと願うはずです。であれば、社員にもそう接するべきです。私は「基本は優しく、でも言うべきことはしっかり伝えよう」と言っています。ありがたいことに、2024年に『日本でいちばん大切にしたい会社大賞』を受賞しました。ですが、この賞の前提として人を大切にできる会社でなければなりませんし、そうあり続けなければならないと考えています。そのためにまず必要なのは、収益性と財務基盤の安定です。資金繰りに追われるような状況では、人を大切にすると言っても説得力はありません。ですから、経営者自身が覚悟を持って、収益性を確保するように努めることが欠かせないのです。また「人を大切にする会社」と聞くと、優しい会社を想像されるかもしれませんが、実際は逆です。大切にされるだけの価値のある社員でなければ、この会社には残れない。そのために社員教育に力を入れています。人を大切にするとは、社員一人ひとりが「大切にされる価値ある人材」に成長できるよう手助けすることだと考えています。人が成長する3つの要素―自覚、志向性、成功体験人が成長するには役割の自覚、志向性、成功体験の3つの要素が必要だという笠原社長。その3要素について、詳しく伺った。笠原社長:1つ目の「自覚」ですが、当社では社員一人ひとりに自分の役割をしっかり自覚してもらうようにしています。「この生産工程のこの部分はあなたが責任を持っている。ここでトラブルが起きたら大変なことになる。どうしたら防げるかを考えてほしい」ーそう伝えています。自分の役割を自覚して、行動することが重要なのです。人は子どもが生まれると親としての自覚が芽生えます。育てるべき存在がいると自覚することで、責任が生まれるのです。それと同じではないでしょうか。2つ目に大事なのが「志向性」です。人は興味を持つかどうかで、発揮できる能力が全く違ってきます。ある教育関係者が講演でこんな話をしていました。「『持つ』という漢字を10回練習して、10分後に書かせると『木偏に寺』と間違える子がいる。その子に『覚えるのは苦手かな?』と聞いたら、『記憶力はいいよ。ガンダムシリーズ全部言えるもん』と答えた」と。さらに「ガンダムのグッズはどこどこでは、いくらで売っている」という情報まで覚えていたそうです。人は何かに関心を持った瞬間、驚くほどの力を発揮します。私は社員にアルギン酸に興味を持ってもらうために、どんな用途に使われているかを伝えます。「このカップ麺にはアルギン酸が入っている」、「こんな役割を果たしている」と話すと、目が輝き始めます。まず興味・関心を持ってもらうこと。そこから自分の作っているものへの理解を深めていってもらうよう意識しています。そして3つ目が「成功体験」です。具体的な例をあげると、当社には、月10トン製造している規格の製品がありました。これは利益がほとんど出ず、場合によっては赤字になるようなものでした。同業他社も同じ製品を作っていたのですが、そのうちの5トン分の製造を当社で引き受けたのです。しかも業者向け価格ということで、市場価格より2割安く供給することにしました。社員からは猛反対の嵐です。「こんな仕事を引き受けるなんて」、「市場価格より2割安くなれば、赤字が増える」、「会社を潰す気か」という声まで出ました。ところが実際にやってみると結果は逆でした。製造には段取りと後片付けがありますが、その仕事量は10トンでも15トンでも変わりません。つまり15トンに増やしても、ほぼ定常運転のままで作れるのです。原材料費とエネルギーコストといった変動費だけで対応できるため、利益が出るようになりました。そうなると社員の反応も一変します。「会社を潰す気か」と言っていた人たちが、「もっとこういう仕事を取ってきてください」と言うようになったのです。新しい仕事を前にすると、「うちには設備がない」、「人が足りない」、「中小企業だから無理だ」とできない理由を並べてしまいがちです。ですが、やってみて成功すると考え方が180度変わり、前向きになるのです。こういった成功体験を積むことで自信が生まれ、自分たちはやれるという気持ちが芽生えるのです。人が成長する上で、最も大切なのはこの成功体験かもしれません。役割を自覚してもらい、関心を持たせることで面白いと思ってもらい、さらに成功体験を積むことで、できるという考え方に変わっていく。子育てに似ています。人は変わることができる。だからこそ、みんなで変わっていこう。大切にされる価値のある社員に変わっていこうーそう伝え続けることが、キミカ発展の原動力になると私は信じています。インタビュー後記株式会社キミカの強さは、アルギン酸への揺るぎない信念と、誰もやらないことに挑み続ける姿勢にあると感じました。即席麵から最先端の再生医療まで、アルギン酸は私たちの日常を静かに支えています。私たちが享受する快適さの陰には、こうした見えない情熱と努力がある。そのことを実感する機会となりました。取材を通じて特に印象に残ったのは、人づくりへのまなざしです。笠原社長は社員を“我が子”にたとえながら、自覚を促し、関心を引き出し、小さな成功体験を積ませることの大切さを繰り返し語ってくださいました。それは単なる人材育成論ではなく、会社を未来へと導くための哲学そのものであり、同時に創業以来受け継がれてきた「人を大切にする」という精神の延長線上にあるのだと思います。