インタビュイー:株式会社弘栄ドリームワークス 代表取締役会長 船橋 吾一様株式会社弘栄ドリームワークスは、山形県山形市に本社を構え、配管点検ロボット「配管くんⓇ」を開発・展開する企業である。創業70年を超える建設設備会社・株式会社KOEIを本体とするコエルグループ13社の一員として、2019年11月に分社化して誕生した。建物に隠れて見えない配管の内部を自走しながら点検し、図面化までを可能にする独自技術を起点に、漏水診断システムの開発や、全国の設備事業者をつなぐ建設業プラットフォームの運営まで、社会インフラの維持管理という課題に多角的に取り組んでいる。代表取締役会長を務める船橋吾一氏は大学卒業後、後継ぎ修行として日立グループへ入社し、1999年に家業へ入社。2012年、41歳でKOEIの3代目社長に就任した。元請けに依存する業界構造に長年向き合うなかで、専門工事業が自ら生きる道を切り拓くための事業として、弘栄ドリームワークスを立ち上げた人物である。前編では、株式会社弘栄ドリームワークス 代表取締役会長 船橋吾一氏に、事業の強みや建設設備業界が抱える課題、日立ブランドとのギャップと1億円喪失の危機、社内の猛反対から始まったロボット開発について、お話を伺った。下請け構造からの脱却。「配管くん」が生み出す唯一無二の価値建設設備業界に根強く残る「下請けピラミッド構造」や人手不足という課題。その常識を打ち破り、独自の点検ロボット「配管くん」で新たな市場を切り拓く弘栄ドリームワークス・船橋代表に、事業の強みと業界の現状を聞いた。船橋代表:弘栄ドリームワークスは、テクノロジーと施工力で、社会インフラの維持管理という課題に多角的に向き合う会社です。中核となるのが、配管の中を自走して内部を点検する配管点検ロボット「配管くん」です。配管というのは、建物にとっての血管のようなものです。人が生きていくうえで血管が欠かせないのと同じで、建物にとっても配管は欠かせません。ところが、その配管は壁や床の内側に隠れていて、外からは見えません。20年、30年と経った建物が、いま内部でどういう状態になっているのか誰にも分からず、問題が表に出てきたときには既に大きなトラブルになってしまっている。これが、この業界が長年抱えてきた悩みでした。その「見えない配管」を見えるようにするのが、配管くんです。複雑に曲がった配管でも自在に進み、車輪を内壁に押し付けることで垂直方向にも走行できます。積んでいるカメラで内部の様子をその場で確認でき、これまで入口付近からのぞくことしかできなかった配管の奥深くまで点検できるようになりました。さらに、ロボットが通った軌跡を記録して、配管がどこをどう通っているのかという図面まで描き出せます。設計図をなくしてしまった古い建物でも、配管の位置がはっきり分かるようになる。これは唯一無二の、世の中にない技術だと自負しています。従来は破損箇所を探すために地面を掘り起こし、工事に2日、費用も100万円ほどかかっていました。配管くん®を使えば、4時間、30万円ほどに抑えられます。工期も費用も、お客様にとって大きな負担だった部分を一気に圧縮できるのです。当社は配管くんという機械だけを扱う会社ではありません。漏水の兆候をスマートフォンで捉える漏水診断システム「音とりくん」も開発し、給水から排水まで一気通貫に調査が可能です。また調査だけで終わらせず、その先の洗浄や改修工事まで配管のお困りごとを一貫してお引き受けしています。悪いところだけをピンポイントで直せるので、無駄な費用を抑えられます。建設業を100社とすると、そのほとんどが私たちのような専門工事業です。震災のときには水道の復旧に駆けつける、なくてはならない存在でありながら、元請けからいただく仕事に売上が左右され、自ら新しい仕事を生み出しにくい。その結果、毎年のように廃業が後を絶ちません。だからこそ私は、元請けから「生かされる経営」ではなく、自分たちの力で「生きていく経営」に変えていきたいと考えてきました。配管くんという唯一無二の商材があれば、お客様のほうから選んでいただける。配管くんを核に、業界全体を盛り上げていく。それが弘栄ドリームワークスの目指す姿です。日立ブランドとのギャップと、1億円喪失の危機〈配管くんⅠ型〉大学卒業後、日立グループでの営業修業を経て家業に戻った船橋代表。そこで直面したのは、「看板の差」と、会社を揺るがす危機だった。船橋代表:私は大学卒業後、後継ぎ修行として日立グループに入社し、約5年間営業を担当しました。強い看板と高い技術力を持っていたため、たとえ飛び込みの営業であっても、訪問先で話を聞いていただくことができました。自分の力でお客様を一から開拓していけるという実感を得ていた時期だったと思います。1999年に結婚を機に家業へ戻り、営業を担当しながら経験を積むなかで、日立で得たその手応えがまったく通用しないことに気づかされました。看板の力で道が開けることはなく、そのうえ専門工事業は下請けという立場であるため、お客様へ直接営業をかけること自体が避けるべきものとされていたのです。元請けの下に下請けがあり、さらにその下に孫請けが連なるという構造があり、この仕組みのなかでは、自らの意思で新しい仕事を生み出すことが容易ではありません。看板の力で道が開けた日立での日々と、家業の現実とのあいだには、それだけ大きな隔たりがあったのです。この頃から私は、日立のようなオンリーワンの商材をつくり、独自の市場を切り拓きたいという想いを強めていきました。そうしたなか、山形青年会議所に入会します。建設業界とは異なり、青年会議所では自分たちの手で地域を変えていける手応えがあり、活動に力を注ぐようになりました。ただ、その情熱のあまり、いつしか家業よりも会議所での活動が中心となり、会社や社員との間に距離が生まれていったことも、振り返れば事実でした。そして2008年、会社の土台を揺るがす出来事が重なります。大口のお客様が倒産し、1億円もの手形が回収できなくなってしまいました。当時の私は副社長の立場でこの局面に向き合うことになりましたが、父が地域との信頼を築いてきたこともあり、会社自体は1年で立て直すことができました。ただ、私はこの一件を通じて、総合建設業ではない一専門工事業が、これまでと同じやり方のまま時代の変化に対応していくことの難しさを感じました。自分らしく経営し、自分らしく生きていくことが、この業界ではいかに容易でないか。誰かに会社の命運を握られるのではなく、自分らしい経営ができる会社をつくりたい。社長に就任した暁には、ここで見えてきた課題を一つひとつ解消していこうと、私は心に決めたのです。ないのなら自分たちで作る。猛反対から始まったロボット開発オンリーワンの商材を模索する中、顧客の悩みが船橋代表の背中を押す。しかし、社内で待っていたのは役員会での猛反対だった。船橋代表:2012年、父にがんが見つかり、当初の予定より数年早く、3代目社長として歩み始めることになりました。社長になるにあたり、経営理念を考えるなかで、私はかねてからの想いを強くしていきました。お客様に選んでいただけるオンリーワンの商材をつくり、その商材で新しい市場を切り拓いていきたい。元請けからいただく仕事を待つのではなく、お客様のほうから選ばれる存在になりたい。そう考えながら、日々お客様のもとに足を運び、何にお困りなのかを伺い続けていました。そのなかで、多くのお客様から同じような声を聞くようになります。配管は壁や床の内側に隠れていて、20年、30年と経つと内部の状態が分からなくなり、問題が起きたときには大きなトラブルになってしまう。だからこそ、見えない配管を見える化し、健康診断のように状態を評価して、次にどう手を加えればよいかが分かるものはないか、と。しかし当時は、そのようなものは世の中に存在していませんでした。胃カメラのようなファイバースコープはありますが、配管は一直線ではなく、いくつもの曲がりを経て蛇口まで届く構造になっています。その曲がりを越えてスコープを押し込もうとしても入っていかず、配管の状態をすべて把握できるものはありませんでした。それならば、自分たちでつくれるのではないか。エアコンやパソコンのような難しいものは無理でも、ファイバースコープの延長線上にあるものなら考えられるのではないか。これが、配管くんの出発点でした。しかし、その構想を役員会で提案したところ、賛同は得られませんでした。「そんなものはできるはずがない。いまの建設業にそのようなものは必要ない。開発するだけ無駄だ」そうした声を受け、一度は提案を引っ込めることになります。当時の私は、社長に就任して間もない時期であり、周囲との信頼関係を十分に築けていませんでした。それまで青年会議所の活動に力を注ぎ、会社や社員との間に距離ができていたことも、理解を得られなかった一因だったと反省しています。それでも私は、自分なりの想いを手放しませんでした。下請けという立場に甘んじるのではなく、また業界のピラミッド構造を壊そうというわけでもなく、一人の経営者として、社員の幸せのためにも、当社らしい経営をしていくことが必要だと考え続けていたのです。思えば、ものづくりの知識を持たない私が踏み出せたのは、理系ではなく経済学を学んできたからこそ、できないという常識にとらわれなかったのかもしれません。役員会であれだけ反対され、却下されてもなお、想い続けているうちに、少しずつ協力してくれる人が一人、また一人と増えていきました。そうして理解が広がっていったことが、現在の配管くんへとつながっています。前編では、弘栄ドリームワークスの事業の強みや建設設備業界が抱える課題、日立ブランドとのギャップと1億円喪失の危機、社内の猛反対から始まった配管くんの開発について、お話を伺いました。後編では、開発を支えた「感動経営」の理念と社外の仲間たち、初年度売上40万円からのV字回復と業界全体を巻き込む共創プラットフォーム、次世代育成と「生きる経営」 への展望について、お話を伺っていきます。船橋 吾一/1971年山形市生まれ。山形学院高から大阪経済法科大学に進み、95年に卒業後、東京都内の空調設備会社を経て99年に家業で総合設備の弘栄設備工業入社(現・株式会社KOEI)。【会社概要】会社名株式会社弘栄ドリームワークス設立2019年11月27日代表取締役会長船橋 吾一事業内容設備業プラットフォーム「何とかしたいを何とかします!」の構築・運営配管探査ロボット「配管くん」の開発・販売・レンタル(特許取得)漏水診断システム「音とりくん」の開発・販売・レンタル設備業支援システム「グッとシリーズ」の開発・販売・レンタル所在地山形県山形市風間地蔵山下2068