インタビュイー:株式会社糀屋三左衛門 代表取締役 村井 三左衛門(裕一郎)様室町時代に創業し、600年近い歴史を持つ株式会社糀屋三左衛門。日本酒や味噌、醤油、焼酎、みりん、酢など、日本の発酵食品づくりに欠かせない「種麹」の製造・販売を手掛けている。種麹は消費者の目に触れる機会こそ少ないものの、発酵食品の品質を左右する重要な存在であり、同社の製品は国内3,000社以上・世界40カ国以上で活用されている。長い歴史の中で培われた技術と知見を受け継ぎながらも、品質や安全性の向上にも積極的に取り組み、日本の発酵文化を支える「見えないインフラ」として存在感を発揮している。代表を務めるのは、第29代当主の村井三左衛門(裕一郎)氏だ。慶應義塾大学で経済学と大腸菌のコンピュータシミュレーションを学び、その後アメリカでMBAを取得した。伝統を守るだけでなく、時代に合わせて機能し続ける形へと進化させることを重視し、発酵文化の継承と事業の発展に取り組んでいる。前編では、株式会社糀屋三左衛門 代表取締役 村井三左衛門氏に、日本の発酵文化を根底から支える種麹事業の全貌や、MBA留学で得た「ルールそのものを問い直す視点」、そして先代である父との違いを受け入れて迎えた35歳での承継について、お話を伺った。日本の食を支える「見えないインフラ」としての矜持はじめに、糀屋三左衛門の事業内容について、お話を伺った。村井代表:当社の主力事業は「種麹」の製造・販売です。種麹という言葉は一般の方にはあまり馴染みがないかもしれませんが、日本酒や味噌、醤油、焼酎、みりん、酢といった日本の発酵食品をつくる際に使われる麹の元になるもので、発酵食品づくりの出発点を担っています。私たちは「糀屋三左衛門」という屋号で事業を続けており、私で29代目になります。創業は室町時代と伝えられており、日本の発酵文化とともに長い年月を歩んできました。発酵食品の品質は、種麹によって大きく左右されます。その意味で、当社は日本の伝統食を根底から支えるインフラの一端を担っていると考えています。ただ、600年続いているから価値があるとは考えていません。伝統は残すだけでは意味がなく、時代に合わせて進化し続けなければならないものだと思っています。そのため当社では、代々受け継がれてきた「黒判もやし」というブランドを守りながらも、品質管理や安全性についてはその時代が求める水準を満たし続けてきました。発酵は職人の勘や経験が重視される世界ですが、それだけに頼るのではなく、科学的な根拠や再現性を積み重ねていくことが必要だと考えています。私たちは種麹を販売する会社ですが、単に原料を供給するだけの存在ではありません。お客様から品質や製造に関する相談を受けることも多くありますし、発酵に関する知見や経験を共有することもあります。お客様が抱えている課題の背景を一緒に考え、より良い製品づくりを支えていくことも重要な役割です。種麹そのものは非常に小さな存在ですが、その先には世界に誇れる日本の発酵文化があります。だからこそ私たちは、長い歴史の中で培われてきた知識や技術を大切にしながらも、それを現代の技術や科学によって磨き続けていかなければならないと考えています。MBAで培った「ルールそのものを問い直す視点」の原点<甘酒ブランド『orise』>家業を継ぐ未来を見据えながら、幅広い学びを求めていた村井代表。アメリカでのMBA留学で得た「ルールそのものを問い直す視点」が、現在の経営哲学の礎となっている。 村井代表:家業を継ぐことは、私にとって特別な決断ではありませんでした。生まれた頃から自宅と工場が同じ敷地内にありましたし、大学を卒業したら実家に戻るものだと考えていました。継ぐか継がないかを悩んだ記憶もなく、ごく自然な流れとして受け止めていました。ただ、家業に戻ることを前提としていたからこそ、その前に学びたいことは学んでおきたいという想いはありました。一度戻れば、会社を離れることは簡単ではありません。だからこそ、行きたい場所へ行き、学びたいことを学び切っておこうと考えていました。慶應義塾大学では経済学を学び、その後は環境情報学部で技術分野の研究に取り組みました。大腸菌のコンピュータシミュレーションをテーマに研究していたのですが、振り返ると、経済も技術もどちらも知っておきたいという気持ちがあったのだと思います。その後、アメリカへ渡りMBAを取得しました。MBAで学んだファイナンスやアカウンティングの知識が、そのまま会社の経営に活きているかというと、そうではありません。当時学んだ理論の多くは、大企業を前提としたもので、当社の経営にはそのまま当てはまらないことも少なくありませんでした。一方で、経営者として非常に大きな影響を受けたのが、ファイナンスとアカウンティングの試験での出来事でした。事前に示された問題を見る限り、試験時間内に解き切ることは難しい分量でした。日本人の学生たちは、その状況を前提として計算速度を上げるための準備をしていました。ところが試験当日、ヨーロッパ出身の学生が手を挙げて「この試験ではアカウンティングの能力ではなく、計算速度を競うことになってしまう。それでは本来評価したい能力を測れないのではないか」と教授に訴えたのです。すると教授はその意見を受け入れ、その場で試験時間の制限はなくなりました。日本では与えられた条件の中でどう努力するかを考えることが多いと思います。しかし彼らは、与えられたルールそのものが妥当なのかを問い直していました。しかも、自分たちに有利だからという理由ではなく、教授にとっても適切な評価ができるという理屈で話をしていたのです。その経験を通じて、「ルールは目的に照らして必要であれば変えていくものである」ということを学びました。お客様から要望をいただいたときも、単純に求められたスペックを実現することだけを考えるのではなく、その奥にある本当の課題は何なのかを考えます。目の前の改善を積み重ねることももちろん大切ですが、その前に「そもそも何を解決すべきなのか」を問い直すことが、経営においてはもっと重要なのではないかと考えています。いま振り返ると、MBAで得た最も大きな財産は知識そのものではなく、この思考習慣だったのかもしれません。父との違いを受け入れ、35歳で継いだ家業<黄麹菌の顕微鏡写真>入社後に直面したのは、先代である父との価値観の違いだった。村井代表:家業に戻った当初、私が最も戸惑ったのは事業そのものではなく、父との考えの相違でした。父は非常に決断力とスピードのある経営者でした。決めたことは最後までやり切るタイプで、与えられた条件の中で誰よりも早く実行に移し、より良い成果を出すことに徹底して向き合っていました。一方で私は、MBAでの経験を通じて、「そもそもその前提は正しいのか」と考える癖が身についていました。与えられたルールの中で素早く着手し最適化を目指す考え方と、一旦立ち止まってルールそのものを問い直そうとする考え方では、物事の見方が大きく異なります。父との価値観の違いをうまく消化できず、徐々に心身のバランスを崩していきました。その結果、会社には籍を置きながらも、2〜3年ほどほとんど顔を出せない時期がありました。当時は苦しい時期でしたが、会社に戻らなければいけないという想いも持ち続けていました。大きな転機になったのが、結婚を機に実家を離れたことでした。それまでは会社でも家でも父と顔を合わせ、親子関係と会社での上下関係が常に重なっていたのです。実家を離れて家庭を持ったことで、私は一つの家庭を預かる世帯主になりました。親子としての距離感と、会社での関係性を分けて考えられるようになったことは非常に大きかったと思います。精神的にも少しずつ自立できるようになり、会社との向き合い方も変わっていきました。父は私が35歳になったタイミングで社長を譲ると以前から決めていました。一度決めたことを貫く人でしたから、私が35歳になったときも予定通り承継が行われました。当時の私は十分な準備ができていたという感覚ではありませんでしたが、父との考えの違いを受け入れ、自分なりの経営哲学を確立できたからこそ、その役割を引き受けることができたのだと思います。前編では、日本の発酵文化を根底から支える種麹事業の全貌や、MBA留学で得た「ルールそのものを問い直す視点」、そして先代である父との違いを受け入れて迎えた35歳での承継について、お話を伺いました。後編では、社長就任後に取り組んだ組織づくりや、麹検定を通じた教育活動、そして発酵産業を次世代へつないでいく挑戦について、お話を伺っていきます。村井 三左衛門(裕一郎)/慶應義塾大学を卒業後、アメリカ国際経営大学院にて国際経営学修士(MBA)を取得。2016年に創業600年の種麹メーカー当主となり、これまでに世界40カ国・3,000社以上の企業へ種麹を提供し、発酵産業を支える。京都芸術大学大学院にて芸術修士(MFA)も取得し、伝統文化と現代テクノロジーを融合させた新たな麹の可能性を模索している。公益財団法人日本醸造協会理事。著書に『ビジネスエリートが知っている 教養としての発酵』(あさ出版)。【会社概要】会社名株式会社糀屋三左衛門設立昭和40年(創業 室町時代)代表取締役村井 三左衛門(裕一郎)事業内容・種麹・麹、あま酒、各種発酵食品、醸造関係資材などの販売・麹文化に関する各種イベントの運営・麹文化に関する各種コンサルティング所在地愛知県豊橋市牟呂町内田111-1