インタビュイー:株式会社糀屋三左衛門 代表取締役 村井 三左衛門(裕一郎)様室町時代に創業し、600年近い歴史を持つ株式会社糀屋三左衛門。日本酒や味噌、醤油、焼酎、みりん、酢など、日本の発酵食品づくりに欠かせない「種麹」の製造・販売を手掛けている。種麹は消費者の目に触れる機会こそ少ないものの、発酵食品の品質を左右する重要な存在であり、同社の製品は国内3,000社以上・世界40カ国以上で活用されている。長い歴史の中で培われた技術と知見を受け継ぎながらも、品質や安全性の向上にも積極的に取り組み、日本の発酵文化を支える「見えないインフラ」として存在感を発揮している。代表を務めるのは、第29代当主の村井三左衛門(裕一郎)氏だ。慶應義塾大学で経済学と大腸菌のコンピュータシミュレーションを学び、その後アメリカでMBAを取得した。伝統を守るだけでなく、時代に合わせて機能し続ける形へと進化させることを重視し、発酵文化の継承と事業の発展に取り組んでいる。後編では、株式会社糀屋三左衛門 代表取締役 村井三左衛門氏に、社長就任後に取り組んだ組織づくりや、麹検定を通じた教育活動、そして発酵産業を次世代へつないでいく挑戦について、お話を伺った。強固な規律を「自律」の種へ。強みを活かす組織継承の新しいかたち<出来上がった種麹を鑑評する様子>先代が築いた組織基盤の上で、村井代表は新たな組織づくりに取り組んだ。目指したのは、受け継いだ強みを活かしながら、一人ひとりが自ら考え行動する組織への進化だった。 村井代表:私が社長に就任した頃、会社には非常に強いガバナンスがありました。父は与えられた条件の中で最善を尽くすことに徹底して向き合う経営者で、その姿勢が組織全体にも浸透していました。決められたことを確実に実行する力があり、上意下達型の組織であったと思います。しかし私は、これからの時代を考えたときに、一人ひとりが自分で考えて、行動できる組織であることも重要だと感じていました。経営者がすべての答えを持っているわけではありませんし、現場で起きていることを最もよく知っているのは現場の社員です。社員が主体的に課題を見つけ、思考し、行動できる環境をつくっていきたいと考えていたのです。もともとが上意下達型の組織であったので、私が自分で思考して行動するよう求めると、それに応えようと、多くの社員が自分なりに考え、より良い方法を模索するようになりました。組織づくりにおいては、制度面の整備にも取り組みました。私が入社した頃の当社には、総合職の女性社員はいませんでした。しかし、これからの時代に選ばれ続ける会社であるためには、多様な人材が活躍できる環境が必要です。女性の採用や登用を進めるとともに、就業規則や評価制度についても見直しを行いました。私が目指していたのは、社会の変化に合わせて、働く環境や制度を整え、時代に合った会社にしていくことです。父が築いた規律ある組織があったからこそ、私はその上に新しい価値を積み上げることができました。受け継いだものを壊して新しいものをつくるのではなく、規律を土台に自律を育み、時代に合わせて進化させていく。私が取り組んできた組織づくりは、その積み重ねだったのだと思います。原料を納める会社から、ともに課題を解決する存在へ<種麹を主軸にした食文化の創造探求プロジェクトKOJI THE KITCHEN>モノをつくり、届けるだけでは、その価値は十分に伝わらない。麹の専門家として正しい知識を発信し続けることで、糀屋三左衛門は新たな存在価値を築いていった。村井代表:社長に就任してから、私は種麹の製造・販売だけではなく、教育やサービスという領域にも力を入れるようになりました。種麹をつくることが当社の本業であることに変わりはありません。ただ、日本国内の人口が減少していく中で、製品をつくって販売するだけでは限界があることも感じていました。そしてそれ以上に私自身が課題だと感じていたのは、麹や発酵について正しい知識が十分に伝わっていないことでした。近年は発酵や麹への関心が高まり、多くの人が興味を持ってくださるようになりました。一方で、科学的な根拠が曖昧な情報や、誤解を招くような説明も少なくありません。長年麹に携わってきた立場として、正しい知識を伝えることも私たちの役割ではないかと考えるようになったのです。そうした想いから始めた取り組みの一つが「麹検定」です。麹に関する知識を体系的に学べる機会をつくりたいと考え、いまでは一般の方だけでなく、醸造メーカーの新人研修などにも活用されています。麹に携わる人たちが共通の知識を持つことで、業界全体の認知向上にもつながっていると感じています。また、シンポジウムの開催や海外での情報発信にも力を入れてきました。麹というと日本国内の伝統文化というイメージを持たれることが多いのですが、実際には海外からの関心も年々高まっています。だからこそ、日本の発酵文化が持つ価値を正しく伝え、世界中の人に知ってもらう活動も必要だと考えています。こうした活動を続ける中で、当社に対する見られ方も少しずつ変わってきました。以前は原料を納める立場としてお付き合いすることが中心でしたが、いまでは、麹や発酵について相談を受ける機会も増えました。知識や経験を共有しながら、お客様と一緒に課題解決に取り組む関係性へと変わってきたように感じています。発酵産業を、次世代が憧れる仕事へ。全国の作り手たちに光を当てる挑戦<麹の知識を普及し、人々の生活を豊かにする目的で立ち上げた麹検定>最後に、今後の展望について、お話を伺った村井代表:私はこれまで全国各地を回りながら、3,000人を超える作り手や食品メーカーの方々とお会いしてきました。味噌や醤油をはじめ、さまざまな発酵食品に携わる方々との出会いを通じて感じたのは、日本の食文化が本当に多くの人たちによって支えられているということです。 地域ごとに気候も文化も異なりますし、製品づくりに対する考え方も違います。しかし、それぞれの土地で長い年月をかけて技術を磨き、品質を守り続けている方々がいます。私はそうした現場に触れるたびに、この産業の奥深さや価値を実感してきました。一方で、その価値が社会に十分伝わっていないと感じています。近年は生産者の顔が見える取り組みも増え、農業への理解や関心は高まってきました。しかし、その先で原料を加工している人たちへの注目は、まだ十分とは言えません。私は作り手の努力や技術の価値が正しく伝わらず、評価されていないことに強いもどかしさを感じています。麹検定やシンポジウム、海外での活動も、単に麹を広めたいからではありません。まだ光が当たっていない作り手たちや、発酵文化を支える産業そのものの価値を伝えたいという想いがあります。私は自分自身を、会社の経営者であると同時に、発酵文化を次の世代へ受け渡す役割を担う存在だと考えています。利益を出し、会社を成長させることはもちろん大切です。しかしそれだけではなく、長い歴史の中で受け継がれてきた技術や知恵、そして産業そのものを未来へつないでいく責任もあります。将来、子どもたちが進路を考えるときに、「発酵の世界で働いてみたい」「食品づくりに関わりたい」と自然に思える社会になってほしいと思っています。発酵産業が、単に伝統産業として語られるのではなく、未来を担う魅力的な産業として認識されるようになってほしいのです。100年後も各地の蔵やメーカーがそれぞれの技術を磨きながら活躍し、次の世代が憧れを持ってこの世界に入ってくる。そんな未来を実現するために、これからも発信と教育を続けていきたいと考えています。編集後記今回は、株式会社糀屋三左衛門 代表取締役 村井三左衛門(裕一郎)氏にお話を伺いました。インタビューを通じて印象的だったのは、600年続く伝統を「守るもの」ではなく、「時代に合わせて機能し続けるもの」と捉える姿勢でした。MBAで培った「前提を問い直す視点」と、全国の作り手たちとの出会いを通じて育まれた発酵産業への深い敬意。その両方が、村井代表の経営の根底に流れているように感じます。自社の成長だけではなく、発酵文化や食品加工業全体の価値を次世代へ伝えようとする姿勢からは、長い歴史を受け継ぐ当主としての強い責任感が伝わり、伝統を未来へつなぐことの本質を学ばせていただきました。村井 三左衛門(裕一郎)/慶應義塾大学を卒業後、アメリカ国際経営大学院にて国際経営学修士(MBA)を取得。2016年に創業600年の種麹メーカー当主となり、これまでに世界40カ国・3,000社以上の企業へ種麹を提供し、発酵産業を支える。京都芸術大学大学院にて芸術修士(MFA)も取得し、伝統文化と現代テクノロジーを融合させた新たな麹の可能性を模索している。公益財団法人日本醸造協会理事。著書に『ビジネスエリートが知っている 教養としての発酵』(あさ出版)。【会社概要】会社名株式会社糀屋三左衛門設立昭和40年(創業 室町時代)代表取締役村井 三左衛門(裕一郎)事業内容・種麹・麹、あま酒、各種発酵食品、醸造関係資材などの販売・麹文化に関する各種イベントの運営・麹文化に関する各種コンサルティング所在地愛知県豊橋市牟呂町内田111-1