インタビュイー:有限会社みのる養豚 代表取締役 中野渡大様青森県十和田市で52年にわたり養豚業を営む有限会社みのる養豚。創業者・中野渡稔氏が母豚80頭から始めた農場は、現在では 母豚2,500頭規模 を誇る県内屈指の生産者へと成長した。その歩みを継ぎ、今年代表に就任したのが二代目の中野渡大社長だ。地域に根ざしながら進化を続けてきた同社の特徴は、単なる規模拡大にとどまらない。同社の強みは、自社堆肥で育てた青森県産とうもろこしを飼料に使い、地下300mの井戸水を飲み水に用いる“循環型の豚肉生産モデル” を実践してきたことにある。輸入飼料への依存や環境負荷が課題となる養豚業界において、地域資源を最大限に生かしながら持続可能な仕組みを構築してきた姿勢は、まさに“青森らしい養豚”そのものだ。さらに、みのる養豚が次に描く未来は、AIやIoTを活用した スマート養豚 の実現だ。空調管理・換気・温湿度コントロールなどをAIが自動で最適化する仕組みを導入し、生産性の向上とストレスの少ない飼育環境を両立させる構想は、一次産業の在り方そのものを変えていく可能性を秘めている。本稿では有限会社みのる養豚・代表取締役・中野渡大氏に、事業継承までの経緯、震災を経た組織の改革、今後みのる養豚が目指す姿についてお話を伺った。結婚式がくれた気づき。家業を継ぐ覚悟が生まれた日幼い頃から家業の手伝いをしていたとはいえ、豚舎の臭いと汚れがどうしても受け入れられず、「自分は継がない」と心に決めて育ってきた中野渡社長。大学を出たあともその思いは変わらず、県外の養豚企業に就職した。そこで出会ったのは、週休二日制や福利厚生が整った“企業としての養豚”。そんな彼の進路を大きく変えたのは、地元で挙げた結婚式だった。中野渡社長:昔は家業を継ぐ気は全然ありませんでした。幼少期に手伝いをしていても、汚くて臭いのが嫌で、「自分は違う道に行こう」と決めていました。大学を卒業した後も家業を継ごうとは思わず、県外の養豚企業に5年間勤めました。実家も養豚場なので、この業界ならある程度働けるだろうという安易な気持ちで入社しました。その会社は職場環境が整っていて、休みもきちんとあり、養豚業としては珍しい週休二日制を導入していました。“企業化された養豚”を初めて経験した場所で、「ここにずっといてもいいかな」と思ったくらいです。そんな私の気持ちを大きく変えたのが、自分の結婚式でした。親から「結婚式だけは地元・青森で挙げてほしい」と言われ、地元で結婚式をあげました。式当日、父の会社に関係する多くの人たちと話をする機会がありました。その人たちの顔を見ているうちに、「もしこの会社が潰れたら、この人たちも困るんじゃないか」という想いが急に湧き上がってきたんです。当時は会社の経営状態も良くなく、内心“親の代で潰れてしまうだろう”と思っていた時期でした。しかし、式の場で見た人たちの姿を前に、“それだけはさせられない”という思いが強くなりました。思えば、大学を出てすぐ家業に入っていたら、今の会社は続いていなかったかもしれません。一度外に出て客観的に見られたからこそ、守らなければいけないものに気づけたのだと思います。養豚には生産部門のほかに、肉を実際に販売する部門もありますが、私が勤めていた会社にはその両方がありました。家業に戻る前に、その販売部門でも1年ほど学ばせてもらい、ようやく覚悟を持って青森に戻ったという流れです。「社長の息子」ではなく、いち社員として現場から始めた理由家業を継ぐと決めたとはいえ、中野渡社長がすぐに“跡継ぎ”らしく振る舞ったわけではない。むしろ彼が選んだのは、創業家の立場をいったん脇に置き、あえて平社員として現場に入るという道だった。従業員の目線と同じ高さに立ち、汗を流し、評価ではなく行動で信頼を積み重ねていく。その選択こそが、組織を変えるための最初の一歩だった。中野渡社長:実家へ戻ることが決まったとき、まず父と話したのは「待遇をどうするか」ということでした。社長の息子として戻り、いきなり役職に就いたら、おそらく従業員はついてこないだろうと分かっていました。だから私は、“平社員からスタートさせてほしい”と父にお願いしたんです。みんなで農場を良い方向へ持っていくには、まず自分自身が行動で示さなければ従業員の意識は変わりません。当時は15人ほどの小さな組織でしたが、そこから一緒にやっていく覚悟で飛び込みました。今では従業員は45人ほどになりましたが、当時から続けてくれている人が10人近くいます。そんな私にとって、一番厳しい経験になったのが東日本大震災でした。あのとき、私はまだ経営側ではありませんでしたが、両親は、たまたま知人の結婚式で北海道にいて不在。誰もいない状況で震災が起きてしまい、「これはもう自分がやるしかない」と腹を決めたんです。幸い、自家発電機があったので電気だけは確保できましたが、それ以外のインフラはほぼ壊滅。豚のエサは届かない、燃料もない。北陸、関東、東海…全国に連絡を取り、少しでもエサをかき集めてなんとかつなぎました。あの一週間は、ほとんど寝ていなかったと思います。命を扱う仕事だからこそ止めることができない。あの時期を従業員と一緒に乗り越えたことが、逆に“一つにまとまった感覚”を生んだのかもしれません。震災後、父はその姿を見て何かを感じ取ったのでしょう。それ以降は現場のほとんどを任せてくれるようになり、その積み重ねがスムーズな事業承継にもつながったと思っています。代表になってから力を入れているのが広報です。理由は2つあります。1つ目は、うちの豚肉をもっと広い地域に届けたいという思い。美味しい豚をつくるのは当たり前ですが、“安定して一定量の美味しさを一年中提供できること”は大きな強みです。発信を強化してからは、地元の小さな飲食店さんだけでなく、大手スーパーマーケットからも声がかかるようになりました。もう1つは、従業員を集めるためです。特に若い世代が現場に入りづらくなっているのが現実で、このままでは5年後、10年後に苦しくなるのは目に見えています。だからこそ福利厚生を整え、働きやすい環境づくりを重視してきました。人事制度も5年前から導入しました。人としての人間力を育てるという方向性と、豚を育てるための匠の技を身につけてもらう方向性。この2つの方向性で「みのる養豚場はこういう教育をしています」というものを打ち出していきたいと考えています。青森を“日本一の養豚県”へ。スマート農業が切り開く次の挑戦みのる養豚が次に目指すのは、AIやIoTを活用した“スマート養豚”の実現だ。現在の年間出荷頭数6万頭を10万頭へ伸ばしていくためには、人手だけでは支えきれない課題が確かに存在する。しかし、中野渡社長が描く未来像は、単に「効率化」や「省力化」といった言葉では語りきれない。データと技術を武器に、養豚という一次産業そのものの在り方を次のステージへと押し上げ、青森を“日本一の養豚県”にするという大きな構想がその根底に流れている。中野渡社長:会社や組織としての今後のビジョンについては、年間6万頭の出荷頭数を10万頭まで増やしていきたいと考えています。規模を広げるというと単純に聞こえるかもしれませんが、その分だけ求められる業務量や管理の難しさも増えていきます。これまでも機械化はある程度進めてきましたが、今後は人の手を借りなくても良い部分をAIに任せるような仕組みを整え、IoTなども活用したDX化を加速させたいと思っています。私の理想は、従業員が必ずしも現場に行かなくても、AIが自動で空調管理をしたり、「今は換気が必要です」と知らせてくれるような養豚場です。豚舎の温度・湿度・二酸化炭素濃度・空気の流れ。こうしたものがリアルタイムで最適にコントロールされる環境がつくれれば、生産性だけでなく、豚のストレス軽減や肉質向上にもつながっていきます。もしそれが実現できたら、ぜひ実際に見に来てください。これまでの養豚の“常識”が変わっていく姿をお見せできると思います。もうひとつ、私が強く思っているのは、一次産業の立ち位置をもっと高めていきたいということです。養豚業界は、日本の食を支える重要な産業であるにもかかわらず、社会的評価や若い世代からの関心はまだまだ十分ではありません。特に青森県は、本来一次産業こそ県の中心となるべきポテンシャルを持った土地だと感じています。だからこそ、単に自社を成長させるだけでなく、周りの養豚仲間とも連携しながら、「青森を日本で一番の養豚県にしたい」という思いがあります。ただ、畜産だけで“日本一”をつくるのは簡単ではありません。だからこそ私は、農業と畜産をつなぐ“循環”が必要だと思っています。豚の糞を堆肥にし、その堆肥で農作物を育て、その作物を再び豚の飼料へと還元する。こうした循環型農業が確立できれば、地域全体の産業として強くなり、外部環境に左右されにくい持続可能な仕組みになるはずです。インタビュー後記地方の養豚場から、AIやIoTを取り入れた次世代農業へ。“継ぐ気ゼロ”から始まった歩みが、地域の仲間とともに青森の一次産業を底上げし、未来の循環型農業へとつながっていく。その姿勢は、変化の波が押し寄せる中でも、産地として生き抜くための一つのヒントを与えてくれる。これからみのる養豚がどんな形で「次の養豚」をつくっていくのか。今後も追いかけていきたいです。