インタビュイー:株式会社andUS 代表取締役社長 廣岡 伸那様富山に拠点を構える株式会社andUS(アンダス)は、『美容で地域に灯美を』をミッションに掲げ、美容サロン向け化粧品ブランド「oméme」の展開を始め、全国の美容サロンへのコンサルティングや、会計サービスの提供を行っている会社だ。代表取締役社長・廣岡伸那氏は、東日本大震災を機に地元へ戻り、妻と共に起業。サロン経営、コンサルティング、通販コスメなど次々と挑戦を重ねるなかで、数々の試練にも直面してきた。それでも着実に道を切り拓いてきた廣岡社長。なぜ挑戦を続けることができたのか。その軌跡と転機を辿る。前編では廣岡社長に起業から化粧品ブランドoméme立ち上げまでの経緯を伺った。震災を機にパラダイムシフト ― 富山で芽吹いた起業の種新卒で化粧品会社に入社し、営業やサロンの立ち上げに奔走していた廣岡社長。地元・富山へ戻る転機となった出来事、その後の起業へ至る経緯を伺った。廣岡社長:私は新卒で化粧品会社に入社し、訪問販売の営業を担当しました。そこで出会ったお客様とのご縁から、エステサロンの立ち上げにも携わっておりました。転機が訪れたのは、入社4年目の2011年3月11日。東日本大震災が発生した日です。当時、私は新潟に配属されていましたが、「何とかしなければ」という思いに突き動かされ、地震発生の2日後の3月13日にレンタカーを借りて仙台へ向かいました。恐怖心もありましたが、それ以上に「今すぐに行動しなければ」という気持ちが勝ったのです。ちょうど同じ頃、富山の実家にいた家族が病気になってしまいました。実家を離れ、家族との関わりが少なくなっていた私は、「もし震災や病気で突然最期を迎えてしまったら、親孝行もできないまま終わってしまう」と強く感じ、地元に戻る決断をしました。震災から2週間後のことでした。会社に相談すると、これまでの功績を評価していただき、7月と12月分のボーナス支給に加え、有給休暇をすべて消化したうえで退職できるよう配慮してくださいました。心からありがたいと思いました。そのおかげで2011年12月末まで在籍しつつ、長期休暇は富山に帰り、家族のサポートに専念することができました。当時、遠距離恋愛中だったパートナー(現在の妻であり当社の専務でもある廣岡香織)は、富山でまつ毛エクステサロンを経営していました。私も化粧品会社で働いていたため、よく経営の相談に乗っていました。地元に戻ってからは、在宅療養している家族をサポートする必要があり、すぐの就職が難しかったため、自然な流れで妻の仕事を手伝うようになりました。おかげさまで妻のサロンは順調に成長しており、確定申告の準備をしていた際、税理士の先生から「売上が増えてきたので法人化した方がいい」と助言をいただき、2人で話し合って株式会社andUSを設立したのです。創業当時は、妻が社長で私が専務という体制でした。起業したからには、私もそこで力を尽くそうと思いました。andUSの事業として私が価値を生み出し、お金をいただけることは何かを考えた時、前職の経験を活かせるエステサロンの立ち上げのサポートや集客支援が浮かびました。そうして、コンサルタント・セミナー講師として活動を始めました。チラシを自作して配るなど、地道な取り組みからのスタートでした。私はもともと緻密に計画を立てて動くタイプではなく、その時々に全力を尽くす人間です。その中で、人との出会いが人生を大きく動かしてきました。震災復興ボランティアに行ったことで、価値観が変わり地元に戻った。妻を懸命にサポートする中で法人化へと進んだ。そうした積み重ねこそが、今の私を形づくっているのです。人課題と通販の挫折を経て誕生したomémeブランド人の問題に悩み続けた廣岡社長。活路を求めて通販事業に挑戦するも、別の壁に直面する。悩みに向き合うことでたどり着いたものとはなんだったのか。廣岡社長:2012~2015年頃は、店舗ビジネスと私のコンサル業を並行して展開していました。店舗は2〜3店舗を増やしたり減らしたりと不安定な状況が続く一方、コンサル業は順調に伸びていきました。しかし、私一人で営むコンサル業の売上よりも、店舗の売上規模の方が大きかったため、コンサルが好調でも店舗事業が安定しなければ会社全体の業績は大きく揺れてしまったのです。また、この時期には人に関する問題に何度も直面し、2014〜2015年頃に社長を交代する決断をしました。私は経営全般や組織作りを得意とし、妻は専門技術や接客、スタッフ教育に長けていたため、それぞれの強みを活かす形で立場を入れ替えたのです。ところが、人にまつわる課題は立場を変えた程度では解決できず、苦悩は続きました。2015年頃には黒字化を果たしたものの、「このアップダウンをいつまで続けるのか」「右肩上がりの成長はいつ訪れるのか」、「人問題から解放される日は来るのか」といった不安を抱いていました。クライアントだった美容サロンをM&Aで買収して経営に挑戦するなど果敢に取り組みましたが、結局は人の課題がつきまといます。ついには人と関わることが辛くなってしまいました。そうして、2016年にグループ会社を設立し、人を介さずに利益を上げることを目指し、通販コスメ事業に挑戦しました。今振り返れば、無謀な試みだったと思います。そのグループ会社ではシャンプーを開発したのですが、自分たちが理想とする成分を惜しみなく配合した結果、原価が跳ね上がり、販売価格は1本5,000円という高級品になってしまいました。香りも品質も素晴らしいものでしたが、誰もが手軽に手にできる価格ではありません。特別感を演出するために、「誰にも教えたくないコスメ」という意味を込め、フランス語で「C'est un secret(それは内緒)」と名付けました。発売当初は広告を打てば売れましたが、次第に売上は落ちていきました。A/Bテストを重ねても改善は見られず、広告費だけが減っていきました。ギフト需要を狙ったPRを試みましたが、リピート購入にはつながらず、在庫は山積みに。私は自ら営業に走り必死に販売しましたが、2017〜18年頃には通販からの撤退を決断。専門分野であるBtoBに舵を切りました。セミナー参加者やサロンオーナー、取引先にセールスシートや割引を添えて提案したところ、通販では1年かけても売れなかった在庫が、わずか3カ月で完売したのです。「これまでも美容業界でやってきたから、BtoC向けの通販事業もうまくいくはずだ」そう短絡的に思ったのは大きな誤りでした。BtoBで培った知識や経験は、BtoCには通用しなかったのです。そして、人問題から逃げても根本的な解決にはならないという現実も突きつけられました。しかし、この失敗を通じて学んだのは、BtoC通販では再現性が難しい一方で、既存の美容サロンとの関係性を生かしたBtoB卸売には可能性がある、ということでした。通販では在庫が滞留し広告費も膨らみましたが、既存の取引先に直接提案したところ、わずか3カ月で在庫を売り切ることができた。この経験から「卸なら可能性がある」と確信できましたし、化粧品開発という貴重な経験も積むことができました。失敗からこそ、多くを学んだのです。事業の浮沈を左右した最大の要因は、結局のところ「人」であった。売上や商品戦略の巧拙以上に、組織を不安定にさせたのは人の課題である。では、その難題にいかに向き合ったのか。廣岡社長:人の問題に真正面から向き合うため、2012~2017年に店舗を辞めていったスタッフたちを徹底的に分析しました。分析した結果、辞めた理由に共通点はありませんでした。「社長が嫌い」「専務と合わない」「店長と揉めた」「売上が上がらない」「家族の事情」など理由は実にさまざまでした。しかし、辞めてしまう根本には必ず共通するものがあるはずだと考え続けました。そして、“報われない努力”という答えにたどり着きました。人は努力が報われないと、心が折れてしまう。たとえ給与を上げても、努力が正当に評価されていなければ辞めてしまう。報われない努力は続けられない─その事実に気づいたのが、2017〜2018年頃のことでした。その後、化粧品開発の研究経験と人面での失敗から得た学びを踏まえ、妻と私それぞれの強みを掛け合わせた新しいブランドを立ち上げることにしました。以前の「C'est un secret」のようなフランス語ではなく、誰もが覚えやすい名前。それが「oméme(おめめ)」です。妻は目元のプロフェッショナル。私はコンサルティングやセールスのプロフェッショナル。それぞれの得意分野を活かし、現場目線で使いやすく、手に取りやすい価格帯の商品を作り、営業しやすいビジネスモデルに設計しました。こうして新しく作ったブランドは、立ち上げ時から営業スタッフを採用し、体制を整えてスタートさせました。震災や家族の病気をきっかけに富山で起業した廣岡社長。挑戦と失敗を重ねながらも、「報われない努力」という気づきが次の一歩を形づくりました。後編では、コロナ禍をどのように乗り越え、なぜ全国から人財が集まるのか、そして描く未来について伺います。