インタビュイー:アール・エフ・ヤマカワ株式会社代表取締役社長 木村 奬様1962年、テーブル天板の製造から歩みを始めたアール・エフ・ヤマカワ株式会社。創業者は、現代表取締役社長・木村 奬(しょう)氏の祖父母である。航空機材に由来する軽量素材「ハニカムコア」を家具へ応用し、当時として先鋭的な技術で大手メーカーの生産を支え、同社はものづくりの現場で確かな評価を積み上げてきた。転機は2006年。三重の自社工場を閉じ、外部の協力工場に製造を委託する「ファブレスメーカー」への転換を断行した。 “自社で作れるもの”という供給側の制約を手放し、“顧客が本当に必要とするものは何か”を起点に置く。開発と品質管理は自社が主導しながら、最適な協力工場を選び抜く。発想の軸足を、”作り手”から”顧客”へと大きく切り替えた意思決定だった。その後の同社は、「家具」というモノで培った知見を土台に、「オフィス空間プランニング・レイアウト」や地元・三重への貢献を見据えた「介護リフォーム」などコトへと領域を広げる。さらに2024年11月には、福岡にショールーム兼コワーキングスペースを開設。展示の場を収益装置へと転換する発想で、拠点性・体験価値・採算性を一体に束ねた。「顧客ニーズ起点」と「合理性」という二本柱で事業を展開する、アール・エフ・ヤマカワ株式会社・代表取締役社長・木村 奬氏に、同社がなぜ中小企業にこだわるのか、その原点にある想い、そして祖母から受け継がれた経営哲学についてお話を伺った。なぜ「中小企業」なのか?“働きがい”をハードと戦略で支えるアール・エフ・ヤマカワが見据える顧客は、華やかな大企業ではなく、日本経済の土台を支える中小企業だ。そこには単なるマーケット戦略を超えた、「共感」と「リアリズム」が同居する。家具メーカーとしての強みと経営者としての哲学。その両輪で、“中小企業が働きたくなる空間を実現する”という使命を掲げている。木村社長:私たちは、事業の焦点を明確に中小企業に定めています。大企業向けの家具市場には「ビッグ4」と呼ばれる強固な競合が存在し、同じ土俵で戦うのは得策ではありません。むしろ、私たちがこれまでに培ってきた知見や柔軟性を活かせるのは、中小企業の現場に寄り添う領域だと考えています。特に大きな転機になったのが、大手オフィス系カタログ通販会社との取引です。大手オフィス系カタログ通販会社は主に中小企業や個人事業主向けのプラットフォームを展開しており、当社は家具事業の初期から深く関わらせていただきました。その中で、「中小企業のお客様が何に困っているのか」「どんな空間が求められているのか」という具体的なデータと実感を得ることができました。その経験が、商品開発やサービス設計の礎になっています。そしてもう一つの理由は、私たち自身も中小企業だからです。同じ規模感で事業を営む者として、現場の苦労や制約を肌で理解しています。だからこそ、“中小企業の働く環境を整えることが、日本全体の活力を高めることにつながる”という信念を持っています。近年、中小企業では採用難が深刻化しています。私はその一因が、オフィス空間の“魅せ方”にもあると思っています。例えば、グレーのスチールデスクが並ぶ無機質な空間と、デザイン性と温かみのある空間。条件が同じなら、どちらで働きたいかは明白です。家具や空間のデザインは、モチベーションや採用力を左右する無形の経営資産だと考えています。もちろん、多くの中小企業にとって職場環境への投資は容易ではありません。本業の設備投資に比べると費用対効果が見えづらく、後回しにされがちです。だからこそ、私たちは「手の届く価格でデザイン性の高い空間を実現する」ことを使命にしています。実際、当社の商品は高額帯ではなく、税務上も一括償却できる価格設定にしています。資産計上が不要で、その年の経費として処理できる。これは経営者にとって実に大きなメリットなんです。コストではなく、経営判断として導入できる家具。そこに、私たちの工夫と視点があります。事業多角化の「もう一つの狙い」。為替リスクからの脱却顧客ニーズを出発点に広がった新規事業は、木村社長の就任以降、もう一つの意味を持ちはじめた。それは、輸入依存型のビジネスモデルに内在する為替リスクを緩和する、「経営の守り」としての役割である。“攻め”と“守り”を同時に成立させる多角化。そこに、木村社長の合理的な戦略観が表れている。木村社長:私が社長に就任したのは2021年です。ちょうどコロナ禍の特需が落ち着き、売上が下がるタイミングでした。加えて、当社の主力である家具事業は海外製造・輸入比率が非常に高く、円安が進めば、その影響がダイレクトに利益を圧迫します。家具メーカーであるにもかかわらず、毎朝の為替レートを見ては気持ちが揺れる。この“環境に左右されやすい経営構造”に、私は強い違和感を覚えました。もっと落ち着いて、もっと腰を据えて、ものづくりやお客様への提供価値と向き合える会社であるべきだと感じたのです。前編でお話ししたように、当社はファブレス化をきっかけに「モノを作る会社」から「空間や働き方まで提案する会社」へと領域を広げてきました。その延長線で私が考えたのは、”事業の幅を持つことで、会社としての足腰を強くすること”でした。そこで、介護リフォームやコワーキングといった“国内で完結する事業”を戦略的に加える決断をしました。これらの事業は、「為替の影響をほとんど受けない・在庫に縛られない・空間提案事業や家具ブランドとの親和性も高い」という特徴があります。つまり、売上を積み増す「攻め」の側面だけでなく、会社の安定性を高める「守り」の側面も持ち合わせている。これは単なる新規事業ではなく、“長く続く会社であるためのバランスづくり”でもありました。結果として、以前のような“単線的な製造・販売モデル”から、複数のエンジンを持つ立体的な経営構造へと変わりつつあります。家具事業で積み重ねた経験を軸にしながら、国内で完結する領域でも価値を出していく。この「攻めと守りの両立」こそ、私が社長になってから最も意識してきたことです。一つの事業に会社の命運が振り回されるのではなく、どの事業もしっかりと役割を持ち、全体で安定して成長できるようにしたい。その想いで、事業ポートフォリオを整えてきました。経営者が“譲らない”ことこそ最大のリスクとなる。3代目としての承継哲学合理的な戦略や仕組み化の裏側には、三代目として企業を受け継いだ者ならではの、揺るぎない「覚悟」がある。前編で触れたファブレス化や多角化の合理性も、その根底にある姿勢は一貫している。“会社の未来に責任を持つのは自分である”という強い自覚だ。木村社長:2011年、2代目である父が急逝しました。当時、私は母(当時副社長)とともにアメリカへ出張中で、突然の連絡を受け、急遽帰国することになりました。「誰が会社を継ぐのか」。その問いが、否応なく私の前に突きつけられました。31歳の私は、“覚悟はあっても、準備はまだできていない”という状態でした。だからこそ母に、「10年ほど学ぶ時間をください。その上で引き継ぎたい」と伝え、母が社長に就任。私は2011年から2021年までの10年間、経営の現場に向き合い続けることになりました。振り返れば、この10年間は、父や祖父母が築いてきた会社を守り抜くために、自分の足りない部分と向き合う期間でもありました。祖母は共同創業者として経営の最前線に立ち、“会社は誰よりも社員の生活を預かる存在である”という姿勢を私に教えてくれました。幼い頃からその背中を見て育ったこともあり、「経営者になる覚悟」そのものは早くから心の中にありました。しかし、父の急逝によって、それが“現実の責任”として目の前に現れたのです。父の急逝という予期せぬ出来事から10年。準備期間を経て社長に就任した木村社長が、最初に着手したのは「自らが引っ張る」ことではなく、「組織が自走できる仕組み」を整えることだった。木村社長:そして2021年、約束の10年を経て社長に就任しました。最初に取り組んだのは、「自分が率先して引っ張る」ことではなく、“会社が自走できる組織にする”ことでした。まずは本業が自走できるように仕組みを整えることを優先し、自分は新規事業を考えたり、着想を得たりするため、外に出向く時間を作る。私一人が走り続ける会社ではなく、誰が担っても前に進める会社にすることが、承継した者の責任だと強く感じたからです。例えば、私自身営業としての経験も長く、個人として成果を出すことは自信がありました。しかし、10億を自分1人で売るより、5億売れる人を3人育てたほうが、会社の未来は強くなる。母の時代からナンバー2として組織づくりを経験してきたことが、その考えを後押ししました。加えて、私はクレーム対応が大好きです。社員の誰よりも対応してきた自負もあるくらいです。単にトラブル処理ではなく、 「お客様の本質的な不満は何か」「どうすれば“問題”が“感謝”に変わるのか」という思考は、のちに組織づくりや経営判断にも直結しています。ピンチに向き合い、乗り越える姿勢こそが、今の経営判断や組織作りに直結していると感じています。こうした“仕組みづくり”と“現場主義”のバランス感覚は、木村社長が最も重視する「事業承継」への考え方にも直結している。木村社長:こうした経験から、私が強く意識するようになったのが「事業承継における“譲る覚悟”」です。私の周囲には、70代・80代の先代が社長や会長として現役に残り続け、後継者が決断できないまま疲弊している企業が少なくありません。私は、後継者を信じて早く譲ることが何より重要だと考えています。先代が思っている以上に、後継者は成長しています。そして、問題を自ら乗り越える経験こそが、社長としての真の成長を促す。それを奪ってしまうのは、企業にとっても本人にとっても損失だと思うんです。経営者が譲らないことは、会社にとって最大のリスクです。突然、判断者がいなくなれば、会社は一瞬で不安定になります。社員の生活が揺らぎ、取引先にも迷惑がかかる。私が父を亡くしたとき、最初に直面したのは“パソコンのパスワード一つわからない”という現実でした。これは単なるエピソードではなく、組織が「誰がいなくなっても前に進める状態」になっていなければ、会社は守れないという象徴的な出来事でした。そこから私は、事業承継とは体制をつくる話にとどまらず、経営者自身の“覚悟の問題”だと強く認識するようになりました。経営者の最も大切な使命は、社員とその家族の生活を守ること。その視点に立てば、経営者の高齢化や引き際の遅れは企業にとって大きなリスクです。自分の意思ではなく、会社の未来のために「いつか譲る覚悟」を持つ。その覚悟こそが、企業を次の世代につなぐための第一歩だと考えています。インタビュー後記「ファブレス化」や「コワーキング事業」といった合理的な戦略と、その根底にある「中小企業を支えたい」「社員の生活を守る」という哲学。今回の取材では、その2つを貫く強いつながりが見えてきました。祖母からの教え、そして父との突然の別れ、という実体験に基づいた木村社長の言葉は、事業承継に悩む多くの経営者にとって、単なるノウハウを超えた「覚悟」の重要性を示しているようにも思えました。「経営者が『譲らない』ことこそ最大のリスク」という言葉は、決して先代にのみ向けられたものではなく、自らも常にそのリスクになり得るという自戒と、社員の生活を背負う経営者としての強い責任感でもあります。アール・エフ・ヤマカワは、2024年に「”デザインすること”で、笑顔で暮らし、学び、働ける『場』を創る。」という新たな企業理念を策定しています。木村社長が語る、”中小企業の働きやすさや社員の生活を守る”という哲学は、まさにこの理念そのものと言えるでしょう。同社の挑戦は、中小企業の「働き方」だけでなく、「経営のあり方」を考える上でも、重要なヒントを与えてくれているように感じました。