インタビュイー:株式会社東鋼 代表取締役社長 寺島誠人様株式会社東鋼は、「お客様のものづくりを手伝う」という理念のもと、顧客一人ひとりの課題に向き合い、オーダーメイドの精密切削工具を設計・製造してきた技術者集団である。その原点は、戦前から続く「金属を削り出すための刃物素材」の製造にある。炉の中で赤く焼ける鋼の色を見極め、硬さと粘りを絶妙に調整する熱処理技術。さらに、図面には表れない微細な感覚を宿す精密加工。東鋼は、熟練職人が自ら研ぎ、使い込むための「究極の刃物素材」を提供し続け、日本のものづくりを根底から支えてきた。こうして蓄積された金属加工の知恵と、80年以上の歴史の中で生み出してきた5万種類を超える特殊工具の実績。その強みを武器に、東鋼が新しく進出したのが、航空機分野と医療機器分野である。本編では、株式会社東鋼・代表取締役社長・寺島誠人氏に、東鋼の技術の原点、航空機分野・医療機器分野へ事業を拡大した想い、コロナ禍における営業姿勢の転換についてお話を伺った。祖業・完成バイトが築いた、東鋼の技術の原点<これまでに手掛けられた商品>東鋼の歩みは、日本のものづくりの進化そのものである。戦前から続く「完成バイト」の製造において磨き上げられた、鋼の性質を見極める熱処理と、極限の精度を追求する技術。時代の変遷とともに製品の形は変われど、その根底に流れる「職人の感覚」と「妥協なき姿勢」こそが、現在の東鋼を支える揺るぎない土台となっている。寺島代表:我々の事業の基礎ともなった「バイト」という製品は、旋盤という工作機械で使われる刃物のことです。旋盤加工では、削られる金属が高速回転し、その回転する金属に固定された刃物を当て削り進めていきます。金属加工において、もっとも基本でありながら奥が深い道具がバイトです。私たちの祖業となったのが「完成バイト」でした。完成バイトと聞くと、その名前からすぐに使える完成品をイメージされるかもしれませんが、刃先の形を仕上げる前段階の「最高級の素材」に近い存在です。耐久性に優れた鋼材に、あらかじめ最適な熱処理を施しておく。受け取った職人たちは、その素材を自分の使い道に合わせて刃先を研ぎ、自分専用の道具へと昇華させていく。まさに、職人のためのバトンを渡すような仕事でした。私の祖父は、戦前からこの製造に携わっていました。当時は今のようにデジタルな温度計が整っている時代ではありません。熱処理の成否を決めるのは、炉の中で赤く焼ける鋼の「色」でした。わずかな色の違いから温度を見極め、一瞬のタイミングを逃さず処理を施す。ほんの少しの判断ミスで、硬すぎて欠けてしまう脆い刃物になったり、逆に柔らかすぎて使い物にならない刃物になったりする。完成バイトの世界は、一瞬の油断も許されない、極限の緊張感の中にあったのです。時代が進み、日本の製造業が大量生産へとシフトすると、工作機械も劇的な進化を遂げました。数値制御によって機械が自動で動くようになり、職人が手作業で刃物を仕上げる場面は次第に失われていったのです。かつての主役であった完成バイトの需要も、以前ほどの勢いを失っていきました。しかし、製品としての完成バイトの出番が減ったからといって、培われた技術までが消えたわけではありません。熱処理で鋼の性質をコントロールする精度、ミクロン単位の誤差を許さない感覚、そして「硬い素材をいかに自在に削り、狙い通りの形を創り出すか」という難題に向き合い続けた知恵。すべて東鋼の血肉となりました。それらが形を変え、後にオーダーメイドの切削工具となり、失敗が絶対に許されない医療機器領域へと応用されていくことになります。完成バイトは、今の東鋼においては主力製品ではありませんが、私たちの原点は間違いなくここにあります。祖父が戦前から向き合ってきたこの祖業があったからこそ、どれほど時代や分野が変わろうとも、私たちは「精度」と「特殊性」という独自の武器を持って戦い続けることができているのです。技術の越境。老舗メーカーが証明した、伝統を未来の武器に変える方法長年、東鋼を支えてきたのは自動車関連の仕事だった。しかし、寺島社長は特定業界への依存に危機感を募らせていた。寺島代表:私たちの経営を支えていたメインの柱は、自動車産業に関わる仕事でした。売上の約8割を自動車関連が占め、一見すれば安定そのもの。しかし私は、その状況に強い危機感を抱いていました。一つの業界にここまで依存している状態は、時代の変化という荒波に対して、あまりにも脆いと感じていたからです。その背景には、私自身が過去に目の当たりにした「レコードがCDへと一気に置き換わっていった変化」の記憶がありました。レコードからCDへの移行は、緩やかに進んだわけではありません。切り替わりが始まると、そのスピードは驚くほど速く、2〜3年も経たないうちに、街からレコードそのものが姿を消していった。かつて当たり前だったレンタルレコード店に行っても、いつの間にか棚はCDに置き換わり、「レコードで音楽を聴く」という文化自体が市場から消えてしまったのです。この出来事は、私に強烈な実感を残しました。技術や価値観の転換は、段階的に訪れるとは限らない。ある瞬間を境に、産業構造そのものが一気に切り替わることがある。仮にエンジン技術や駆動方式、社会の価値観が大きく変わったとき、自動車という産業もまた、同じように急激な転換点を迎えるかもしれない。だからこそ、業績が良い「今」のうちに、次の柱を探さなければならないと強く感じていたのです。<医療用術具のお写真>新たな事業の可能性を探る中で、東鋼には二つの未知の分野から声がかかる。寺島代表:新たな事業領域を模索する中で2006年、思いがけず声をかけていただいたのが、医療器具メーカーの方でした。整形外科の分野で使われる器具を加工するための、専用刃物を作れないかというご相談です。全く経験のない未知の世界でしたから、最初は大きな戸惑いがありました。話を聞いていく中で分かってきたのは、整形外科の手術では、インプラントを装着するために、骨に穴を開けたり、切削したり、ネジを立てたりといった工程が必ず発生するということでした。要するに、工作機械で金属を削るのと同じように、「骨を削るための刃物」が必要になる。そう考えると、私たちが長年やってきた切削工具の技術が、まったく無関係な世界ではないと感じました。また、当時の整形外科用インプラントの多くは海外製で、国内で使われているものの8〜9割が輸入に頼っている状況でした。日本国内に在庫はあっても、肝心の手術器具や周辺部材が海外の工場に依存しているため、供給が不安定になることもある。そうした話を聞く中で、日本の切削工具メーカーとして関われる余地があるのではないかと考えるようになりました。医療の仕事は、数量も多くありませんし、「一本でいい」という依頼も珍しくありません。納期も短く、工業製品として見れば決して効率の良い仕事ではない。それでも、現場で本当に必要とされているものを、確実に形にする。その積み重ねが信頼につながっていく世界だと感じました。ほぼ同じ時期、もう一つ全く性質の異なる分野からも問い合わせをいただきました。それが航空機関連の仕事です。当時、航空機業界では新型機・ボーイング787の開発が進み、機体構造や使用素材が大きく変わろうとしていました。特に、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)といった新素材の本格採用が進み、従来とは次元の異なる加工精度と信頼性が求められる局面に入っていたのです。このCFRPという素材が、とにかく難しい。軽くて強靭である一方、従来の金属加工の延長ではまったく歯が立たない。ボーイング787はまだ量産前の段階でしたが、1機あたりに必要な穴あけは約20万箇所とも言われていました。しかし、そのCFRPに対して、当時一般的だった超硬ドリルでは寿命が極端に短く、現実的な対応が難しかった。そうした背景の中で、航空機メーカー側が国内の工具メーカーに試作を依頼した結果、東鋼が作った部品が素材への理解・加工精度・再現性などの点で最も適していると評価されました。しかし、私たちが最初に提示した見積は、先方が求める価格の2倍以上でした。正直に言えば、その差は簡単に埋まるものではありません。ただ、「20社以上を検討した中で、どうしても東鋼と仕事がしたい」と言っていただいた。その言葉を聞いたときに、「そこまで言っていただけるなら、引き受けよう」と腹をくくりました。要求に応えるためには、やり方を根本から変えるしかありませんでした。既存の設備や製造プロセスを見直し、自己資金で大きな設備投資を行う決断をしました。結果的に、同時期に取り組み始めていた医療器具分野のドリルと、航空機向けドリルで必要とされる設備に共通点が多かったことも、この判断を後押ししてくれました。ただ、航空機分野は参入すればすぐに成果が出る世界ではありません。新型機の開発は計画通りに進むことのほうが珍しく、量産開始が2〜3年遅れることも当たり前です。実際、航空機事業の停滞はコロナ以前からあり、ボーイング787を巡る技術的な問題や生産停止の影響も大きかった。それでも、この挑戦は私たちにとって非常に大きな意味を持ちました。医療器具分野は比較的早い段階で売上として立ち上がり、航空機分野への先行投資を下支えしてくれました。一方で、航空機分野で求められる「絶対に失敗できない品質基準」は、結果として東鋼の技術水準そのものを一段引き上げてくれたと感じています。航空機も医療も、分野は違いますが、どちらも人の命と安全を預かる世界です。完成バイトの時代から培ってきた熱処理の技術や精密加工の考え方は、こうした極限の環境においてこそ、本当に価値を発揮する。そのことを、この二つの挑戦を通じて強く実感しました。対面できない時代を逆手に。コロナ禍が加速させた営業の再設計未曾有のコロナ禍は、東鋼に「営業の在り方」という新たな問いを突きつけた。人と会うことが前提だった従来の営業活動が立ち行かなくなる中、寺島社長は営業活動の根本的な転換を選択する。寺島社長:コロナ禍によって、お客様と対面で会うことがほぼ不可能になりました。これまで当たり前だった訪問や打ち合わせがすべて止まり、「営業とは、外に出て直接顔を合わせるものだ」という大前提が崩れていく感覚がありました。しかし、それ以前から私は展示会や訪問を中心とした従来の営業スタイルに、疑問を感じていました。多額の費用と人手を投じて展示会に出展しても、本当に実利を伴う成果に結びついているのか。名刺の数は増えるものの、その後の深い商談や具体的な受注に至るケースは、決して多くありませんでした。日々の忙しさの中で続けてはいたものの、費用対効果という点では、どこか腑に落ちない部分を抱えたままだったのです。コロナ禍で対面で会えなくなったとき、「なんとか以前の形に戻そう」とは思いませんでした。会えないのであれば、無理にこれまでのやり方に固執するのではなく、いっそのこと仕組みをガラリと変えてしまおう。長年感じていた違和感に対して、コロナという状況が決断の決定打を与えてくれたようにも感じていました。注力したのは、私たちの持つ「情報」の価値を再定義し、発信する仕組みを整えることです。ここで言う情報とは、単なる会社概要や製品スペックではありません。私たちがこれまで解決してきた具体的な加工事例や、熱処理によって鋼にどんな特性を与えられるのかといった技術的解決策そのものです。東鋼にはどんな独自の技術があり、それが顧客の現場にある切実な課題をどう解決するのか。初めて私たちを知る方にも、その実力が直感的に伝わるように情報を整理していきました。営業が足で稼いで情報を届けるのではなく、私たちの解決力を可視化した情報が歩き出し、世界中の困っている人のもとへ届く状態をつくろうと考えたのです。最初から魔法のように成果が出たわけではありません。サイトを整えた翌日から問い合わせが殺到するようなことはありませんでした。しかし、このプロセスには非常に大きな意味がありました。単に情報を整理するだけでなく、インターネットという広大な市場において、東鋼の技術を必要とする方々と確実に出会うためのデジタル上の営業基盤を固めることができたからです。地道に発信を続けるうちに、少しずつ変化が現れ始めました。サイトの内容を熟読されたお客様から、「こういう特殊な加工は可能」「一度詳しく話を聞きたい」といった問い合わせが入るようになったのです。すでに私たちの技術をある程度理解した状態でご連絡をいただけるため、初回の打ち合わせから深い商談に入ることができる。ネットを通じて新たなマーケットを獲得する準備を整えたことで、営業の入り口そのものが、以前とは明らかに変わった実感がありました。人と直接会うことで深まる信頼も、もちろんあるはずです。ただ、単なる慣習としてやみくもに続けるのではなく、今の時代にふさわしい、より意味のある形へと見直していく必要がある。コロナ禍をこれまでのやり方を再定義する好機として捉え直したことは、東鋼の未来にとって非常に大きな一歩だったと思っています。前編では東鋼の技術の原点、航空機分野・医療機器分野へ事業を拡大した想い、コロナ禍における営業姿勢の転換についてお話を伺いました。後編では寺島社長が事業を承継する際のエピソードや社長ご自身の仕事観、今後の展望についてさらにお話を伺っていきます。寺島誠人/1960年 東京生まれ。神奈川大学経済学部貿易学科 卒業。1983年 株式会社東鋼 入社。2005年 株式会社東鋼 代表取締役専務就任。2007年 株式会社東鋼 代表取締役社長就任。2019年 東京商工会議所 『勇気ある経営大賞』受賞日本機械工具工業会 理事|東京商工会議所文京支部 工業分科会 評議員|精密工学会切削加工専門委員会 会員|日本の技術をいのちのために委員会 会員|ハビリスジャパン 会員オメガドリルをはじめ医療機器分野で4件の特許を取得。切削工具の開発で培った技術を応用して、今までにない医療機器の開発を目指し、世界の人々のお役に立つ事を目指している。【会社概要】会社名株式会社東鋼設立1937年代表取締役社長寺島 誠人所在地東京本社 東京都文京区本郷5-27-10サイトURLhttps://www.toko-tool.co.jp/index.html?lang=jp