インタビュイー:株式会社東鋼 代表取締役社長 寺島誠人様株式会社東鋼は、「お客様のものづくりを手伝う」という理念のもと、顧客一人ひとりの課題に向き合い、オーダーメイドの精密切削工具を設計・製造してきた技術者集団である。その原点は、戦前から続く「金属を削り出すための刃物素材」の製造にある。炉の中で赤く焼ける鋼の色を見極め、硬さと粘りを絶妙に調整する熱処理技術。さらに、図面には表れない微細な感覚を宿す精密加工。東鋼は、熟練職人が自ら研ぎ、使い込むための「究極の刃物素材」を提供し続け、日本のものづくりを根底から支えてきた。こうして蓄積された金属加工の知恵と、80年以上の歴史の中で生み出してきた5万種類を超える特殊工具の実績。その強みを武器に、東鋼が新しく進出したのが、航空機分野と医療機器分野である。前編では東鋼の技術の原点、航空機分野・医療機器分野へ事業を拡大した想い、コロナ禍における営業姿勢の転換についてお話を伺いました。本編では、株式会社東鋼・代表取締役社長・寺島誠人氏に、寺島社長が会社を承継された際のエピソードや、社長ご自身の仕事観、今後の展望についてお話を伺う。技術を人任せにしてはいけない。創業家として「真の継承」に挑んだ覚悟<経営計画発表時の社員全員でのお写真>事業を承継することは、単に肩書きや資産を引き継ぐことではない。特に製造業においては、技術の中核を誰が担うかが会社の命運を左右する。代々、経営と現場が分離していた東鋼において、寺島社長が下した決断は自らが技術の核心に飛び込むことだった。寺島代表:私が三代目として会社を継ぐ中で、ある「違和感」を強く感じていました。東鋼は精密な道具を作る製造業ですが、実は初代も二代目も、現場からの叩き上げの職人ではありません。完成バイトという卓越した技術を礎にしながらも、経営と現場の技術が、必ずしも一つになっていなかったのです。先代の時代、現場では社長の経営判断に対して「社長は現場を分かっていない」「そんな理屈では作れない」といった、厳しい声が上がることもありました。陰で囁かれるのではなく、面と向かって語られることもあったと聞いています。私にとっては胸に刺さる話でしたが、これは誰か一人の能力や姿勢の問題ではなく、東鋼という組織が長年抱えてきた構造的な課題なのだと受け止めました。多くの製造業では、創業者が優れた技術者であり、代を重ねるごとに経営者が現場から離れていくケースが一般的です。しかし、私たちの場合は少し違っていました。完成バイトという高度な技術を祖業としながらも、技術の核心そのものは、必ずしも創業家が直接担ってきたわけではなかったのです。このまま経営の形だけを引き継いでも、いずれこの会社は立ち行かなくなる。そう感じました。技術を完全に人任せにしたままでは、いざという局面で正しい判断ができません。何が実現可能で、どこに限界があるのか。その線引きを自分の言葉で説明できない経営者は、最終的な責任を負うことができないと思ったのです。本当の意味で会社を背負うためには、自らが技術の理屈を理解し、現場と同じ目線に立つ覚悟が必要でした。私は入社当初から現場に身を置いていましたが、あらためて「技術を自分自身の中に取り込む」ことを強く意識するようになりました。工学部出身でもなく、専門的な教育を受けてきたわけでもありません。文字通りの独学です。それでも毎日現場に足を運び、分からないことは頭を下げて聞き、自ら手を動かしながら、試行錯誤を重ねていきました。そうした中で、大きな転機になったのが福島工場の立ち上げです。1991年に現在の福島工場を新設しましたが、それ以前は茨城工場が主力でした。福島に新しく工場をつくること自体は決まったものの、「では、どうやって立ち上げるのか」という具体的な話は、ほとんど決まっていなかった。新工場に集まったのは、ほとんどが高卒の若い人たちでした。最初は機械の扱い方など基本的なことは教えましたが、当然、職人としての経験はありません。すると、少しでも難しい仕事になると、「これはできません」と言って、茨城工場に送り返してしまう。そういう状態が続いていました。それを見て、これはもうやり方を変えないといけないと思いました。「返すな。全部ここで作れ」「分からなかったら俺を呼べ」。そう伝えて、現場の判断で逃げ道をつくることをやめさせました。当時は私自身が営業もやっていましたから、外で仕事をしている最中に、「これができません」と福島から電話がかかってくることもありました。そうすると、「分かった、今から行く」と言って、そのまま福島へ向かう。今ある設備でどうすれば作れるのか、どこを変えれば成立するのか。現場で一緒に考えながら、やり方を一つひとつ落とし込んでいきました。そういう積み重ねの中で、福島工場のやり方が少しずつ形になっていったと思っています。結果として、初代や二代目とは、現場への関わり方はかなり違うものになりましたが、あの経験がなければ、今の東鋼の現場力はなかったと感じています。この経験を通じて私は確信しました。製造業において、技術は単なる手段ではなく、経営判断そのものであると。創業家が経営を担うのであれば、どれほど苦しくとも技術から逃げてはいけないのです。あの時、技術を自分の問題として引き受け、腹をくくったことは、経営者としての私の軸を形づくる大きな転換点となりました。売るためではなく、役に立つために働く。寺島社長が掲げる「貢献」の原点事業の転換や技術への理解を通じて、寺島社長がたどり着いた仕事観は「何を売るか」ではなく「どのように顧客の成果に貢献するか」であった。目先の売上や効率に目を奪われるのではなく、現場の苦悩を共有し、その先にある成果を共創する。それが、現在の東鋼を貫く経営判断の軸となっている。寺島代表:私の仕事は物を売ることではありません。切削工具を製造している会社ですから、表面的には刃物を売って利益を得ているように見えるでしょう。しかし、私自身の感覚としては、納品して代金をいただくことは決して仕事のゴールではないのです。以前、とあるF1レースチームに関わる現場に携わっていたことがあります。その時、私が考えていたのは「ドリルを何本売るか」という自社の売上ではありませんでした。「どうすれば、レースで勝てる手助けができるか。」結果として勝利に少しでも貢献できるなら、そのプロセスすべてが自分たちの仕事なのだと考えていたのです。この考え方は、現在の主力事業の一つである医療分野でも全く変わりません。私達が作るのは医療術具そのものであり、医療の仕事については、この術具を使って手術するドクターがいて、その先に回復を待つ患者さんがいる、ということは常に意識していました。少しでも手術がしやすくなり、結果として患者さんの負担が減るのであれば、その意味は大きいと思っています。すべての挑戦が報われるわけではありません。膨大な時間をかけて試作を重ねても、採用に至らないこともしばしばあります。しかし不思議なことに、その時に真剣に向き合った経験は、後に全く別の場面で鮮やかに蘇ることがあります。たとえその場では結果に繋がらなかったとしても、誠実に向き合い、考え抜いたプロセスは必ず自分の血肉となり、次の機会の武器になります。そうした積み重ねこそが、企業の、そして個人の地力になるのだと信じています。この先も、必要とされる場所へ。東鋼が描く未来の姿時代とともに、東鋼はその姿を柔軟に変えてきた。しかし、その変遷の根底にあるのは、常に「自分たちの技術が、誰の、どんな課題に応えられるのか」を問い続ける愚直なまでの姿勢である。これからも特定の製品や事業領域に固執せず、必要とされる場所へと自らをアップデートし続ける。寺島代表:私は、「この事業を何年後にどこまで伸ばす」といった、具体的な数字の目標に過度に固執することはありません。もちろん経営者として計画は持っていますが、それ以上に大切にしているのは、「私たちがどこで、誰の役に立っているのかを、自分たち自身で明確に認識できているか」です。完成バイトから始まった私たちの歴史は、自動車産業を支えた時代を経て、現在は航空機分野や医療器具という新たな領域へと広がっています。その歩みを振り返ってみても、東鋼は決して一つの事業に執着してきた会社ではありません。変化を恐れず、常に「私たちは今、何を求められているのか」という視点を持ち続けてきたからこそ、今日があるのです。現在、私たちは特に医療分野へ力を入れています。これは日本国内に留まらず、世界中の医療現場と地続きの仕事です。海外から直接お声がけいただく機会も増え、国境を越えて「東鋼になら任せられる」と言っていただける場面も出てきました。そうして得られた一つひとつの信頼を、これからも丁寧に積み重ねていきたいと考えています。この先医療分野だけに特化し続けると決め打ちしているわけでもありません。極端な話をすれば、10年後、20年後に私たちが向き合っているのは、今では想像もつかない全く別の分野の仕事かもしれません。それでも構わない、と私は思っています。時代によって形は変われど、現場の困りごとに深く入り込み、技術の裏付けを持って解決策を共に創り出す。その本質的な姿勢さえ失わなければ、必要とされる場所は自ずと現れてくると確信しているからです。私が次の世代に引き継ぎたいのは、特定の製品でもなければ、盤石に見える事業基盤でもありません。技術から逃げず、現場の真実から目を逸らさず、「自分たちは何のために存在するのか」を問い続ける姿勢そのものです。そのマインドセットさえ継承できれば、たとえどんなに激しい時代の変化に晒されても、次の選択肢を見つけ出すことができるはずです。必要とされる限り、変わり続ける。その覚悟を持ち続けることこそが、今私が描いている東鋼の完成形です。私たちはこれからも、目の前の一件一件の仕事に誠実に向き合いながら、次の時代にふさわしい東鋼の姿を探し続けていきたいと思っています。インタビュー後記今回は、株式会社東鋼・代表取締役社長・寺島誠人氏にお話を伺いました。最も印象的だったのは、「10年後の姿を決めない」という不確実な未来をしなやかに受け入れる姿勢です。その根底には「お客様のものづくりの役に立ちたい」という揺るぎない想いがありました。自社の過去に固執するのではなく、時代の変化に応じて技術を適応させ続ける姿勢が、東鋼の90年の歴史を支えてきたのだと感じます。変化を恐れず、志を信じて進むことの重要さを、改めて学ばせていただきました。寺島誠人/1960年 東京生まれ。神奈川大学経済学部貿易学科 卒業。1983年 株式会社東鋼 入社。2005年 株式会社東鋼 代表取締役専務就任。2007年 株式会社東鋼 代表取締役社長就任。2019年 東京商工会議所 『勇気ある経営大賞』受賞日本機械工具工業会 理事|東京商工会議所文京支部 工業分科会 評議員|精密工学会切削加工専門委員会 会員|日本の技術をいのちのために委員会 会員|ハビリスジャパン 会員オメガドリルをはじめ医療機器分野で4件の特許を取得。切削工具の開発で培った技術を応用して、今までにない医療機器の開発を目指し、世界の人々のお役に立つ事を目指している。【会社概要】会社名株式会社東鋼設立1937年代表取締役社長寺島 誠人所在地東京本社 東京都文京区本郷5-27-10サイトURLhttps://www.toko-tool.co.jp/index.html?lang=jp