インタビュイー:株式会社横引シャッター 代表取締役 市川慎次郎様1980年創業の株式会社横引シャッター。東京都足立区に本社を構える同社は、「横に動く」特殊なシャッターの製造・販売を専門に手がけるメーカーである。高い技術力は業界内でも評価が高く、空港やショッピングモールをはじめ、原子力発電所など高度な安全性が求められる施設にも数多く導入されてきた。その製品を開発し、全国へと広めた先代の父の遺志を引き継ぎ、現在同社を率いているのが二代目社長の市川慎次郎氏である。父から叩き込まれた帝王学や中国での5年半に及ぶ留学経験を経て家業に入社した市川代表を待ち受けていたのは、開発投資によって膨れ上がった9億円という巨額の負債だった。市川代表は、「1円でも返せば数字は変わる」と語る独自の「電話番号理論」を軸に、一つずつ課題を解きほぐしていく。また、「恩」で敵を敵でなくすという行動哲学によって社内の空気を変え、6年で7億円の返済を実現。経営の立て直しと同時に、「人を大切にする会社」へと組織そのものを変えてきた。本編では、株式会社横引シャッター・代表取締役・市川慎次郎氏に、同社の事業内容や入社に至るまでのユニークな歩み、借金9億円という現実と向き合う中で培われた行動哲学について、お話を伺った。事業の強みは「横引き」に特化した独自の技術力はじめに、株式会社横引シャッターの事業内容を伺った。市川代表:株式会社横引シャッターは、「横に動くシャッター」を専門に手がけるメーカーです。街でよく見られる上下に開閉する従来型シャッターでは対応できない場所や用途に向き合い、曲線や大開口、天井や床が開閉するような特殊な要望を、ひとつひとつ形にしてきました。その技術力は高く評価され、空港やショッピングモール、さらには原子力発電所など、高度な安全性が求められる施設にも数多く導入されています。横引きシャッターの大きな特長の一つが、曲線にも対応できることです。例えば角地の店舗に上下式シャッターを設置しようとすると、正面用と側面用で二台のシャッターが必要になります。しかし横に動くシャッターであれば、カーブを描くように一台で正面と側面の両方を防犯することができます。開け閉めが一か所で済むというのは、毎日の運用を考えると、大きな違いになります。上下式シャッターの場合、少しかがんで一番下に手を掛け、「よいしょ」と持ち上げる。閉める時にはフック棒で引っ掛けて、一気に下ろす。この一連の動作は大したことがないようで、毎日続くと意外に負担になります。横引きシャッターは、引き戸のように横に押すだけです。女性や高齢の方でも、軽い力で無理なく開け閉めできます。「毎日の小さなストレスがなくなる」ことに、一番驚かれるお客様も多いですね。また、横引きシャッターには、大きく分けて二つのタイプがあります。一つは、あえて中を見せることで防犯効果を高めるタイプです。室内が見えることで、万が一侵入者が入っても外から丸見えになり、防犯性が高まります。加えて、閉店後もディスプレイとして機能するため、PR効果も期待できます。ガレージに停めた愛車を見せながら防犯する、といった使い方も可能です。もう一つは、中を見せずにしっかり守るタイプです。高価な商品を扱う店舗や夜間になると人通りが少なくなる立地では、こちらを選ばれることが多いですね。もともとフルオーダーメイドで製造してきたため、「見せる」と「見せない」を組み合わせたカスタマイズにも柔軟に対応できます。弊社のシャッターはセミオーダーが中心ですが、設置場所や使い方を丁寧に伺いながら、お客様ごとに最適な形を設計・製造しています。一度設置したら長く使われるものだからこそ、初期コストだけでなく、長期的な使い勝手やコストパフォーマンスまで含めて考える。それが、横引シャッターのものづくりです。こうした仕事も、最初から評価されていたわけではありません。私が入社した当時、弊社は多重下請け構造の末端に位置する五次下請けという立場でした。「特殊なものを作ってほしい」という依頼に対し、一つひとつ丁寧に応えていく。その積み重ねによって、上の業者さんから少しずつ評価をいただき、階段を一段ずつ登ってきた感覚です。現在では、一次下請けとしてスーパーゼネコン各社と直接取引をしていますし、防衛省などの省庁ともやり取りをしています。アルミ、スチール、ステンレスと素材を問わず、「この大きな間口を、この条件で閉めたい」という要望を形にする。それが、横引シャッターの仕事であり、これからも変わらない姿勢です。帝王学と、中国への留学市川代表は、二代目として幼少期から「人の上に立つ者の振る舞い」を教え込まれてきた。その一方で、高校卒業後の中国留学や帰国後にあえて遠回りをしたキャリアは、すべて父の判断によるものだった。市川代表:私は二代目なので、生まれたときから「将来、経営者になるため」「人の上に立つ人間になるため」の帝王学を教えられて育ちました。ただ、父から教えられたことは、決して特別なものではありませんでした。「話をするときは相手の顔を見る」「話を聞くときも相手の顔を見る」「挨拶や返事をきちんとする」。「物を分けるときは、相手に大きい方を渡しなさい」。どれも、ごく当たり前の作法です。子どもの頃は、正直かなり口うるさいと感じていました。ただ、社長業を営むようになってから振り返ると、あれほど実践的な教えはなかったと思います。人の上に立つ立場では、言葉よりも日々の振る舞いが見られる。その意味で、父が教えていたのは理念ではなく、行動そのものでした。高校卒業後は、中国に留学することになりました。天安門事件後、日本企業の多くが中国から撤退する中でも、父は現地で合弁事業を続けていました。ただその過程で、現地の中国人通訳を介したやり取りを信用できないと感じる場面が多く、通訳は身内で固めるしかないと父は判断しました。その結果、私が中国に留学し語学の勉強をすることになりました。自分の意思というより、経営上の必要性を優先した父の決断でした。そのことを実感したのは、高校2年生のときです。父が突然書類を持ってきて、「ここにサインしろ」と言いました。内容も分からないままサインをすると、「これで高校を卒業したら中国に行けるようにしておいたから」と言われたのを覚えています。準備も覚悟もないまま、清華大学に留学し、合計5年半を中国で過ごしました。1995年から2000年にかけての中国は、停電や断水が日常茶飯事でした。5月から7月にかけては天安門事件への警戒期間にあたり、パスポートを携帯していないだけで拘束されかねない、常に緊張感のある時代です。決して楽な環境ではありませんでした。それでも今振り返れば、あの時代の中国で過ごした経験は、非常に面白いものだったと感じています。帰国後は、すぐに家業の中心に入ったわけではありません。父の運転手や雑用から始まり、宅建資格の取得や不動産会社への入社など、遠回りに見える経験を重ねました。ただ、それぞれの局面で求められた行動を積み重ねてきた結果が、後の経営の修羅場で確かな支えになっていったのだと今は感じています。借金9億円という現実と「電話番号理論」家業に戻った市川代表が直面したのは、誰も正確な数字を把握していない「9億円」という負債だった。市川代表:家業に戻った当時、会社の財政状況が良くないことは、肌感覚として分かっていました。ただ、それがどの程度深刻なのか、誰も正確には把握していなかったんです。総務の雑用をこなしながら、「一体うちにはいくら借金があるんですか」と先代に聞くと、「7億くらいかな」と返ってくる。経理部長に聞けば、「4、5億かな」という答えでした。聞く相手によって数字が違う。この時点で、相当まずい状態だと感じました。それなら自分で調べるしかない。そう思って、借入、未払い、滞納しているものをひとつひとつ洗い出していきました。出てきた数字は「総額9億円」でした。2004年のことです。その数字を持って社長室に入り、先代に報告しました。資料に目を通した先代は、しばらく黙ってから、「これは社員には言えないな」と一言つぶやきました。そのまま話が終わりそうになったので、私は思わず、「それで話を終わりにしたらダメでしょう。借金は減りません」と口を挟みました。 誰かがこの現実と正面から向き合わなければ、何も始まらないと思ったからです。先代には経営に、経理部長には経理に専念してもらう。その代わり、借金問題だけは自分が引き受ける。私は「じゃあ、私が“負の遺産担当係”をやります」と言いました。軽い言い方をしましたが、会社の過去と向き合い、嫌われ役を引き受ける重大な役割です。9億円という数字は、あまりにも大きすぎます。正直に言えば、どうやって返済するかの計画は、その時点ではまったく見えていませんでした。ただ、立ち止まっていても何も変わらない。だから私は、周囲に「1万円だけでも返せばいいんだよ」と言い続けていました。1万円返せば、借金は「9億円」ではなく、「8億9999万円」になる。私はこれを「電話番号理論」と呼んでいます。電話番号は、たった1桁でも違えば相手には繋がりません。それと同じで、数字をどこか1か所でも変えてしまえば、それはもう元の「9億円」とは別物なんです。周囲からは、「9億も8億9999万も同じだ」と言われました。確かに、数字の大きさだけを見れば大差はありません。でも、同じだと思っている限り、思考は止まる。私は「違う」と思ったからこそ、1万円でも、100円でも、1円でも返して、まず数字を変えようと考えました。数字が変わると、不思議と次に考えることが生まれます。「じゃあ、次はどうやって原資を作ろうか」「どこから手をつければ、もう1円返せるだろうか」。9億円という塊を前にして立ち尽くすのではなく、初めて“考える入口”に立てる気がしました。この時点で、立派な計画があったわけではありません。ただ、「このままの未来は嫌だ」という感覚だけは、はっきりしていました。だからまず数字を変える。そのために何をするかを考える。その順番だけは、絶対に間違えないようにしよう。それが、9億円と向き合ったときに、私が最初に決めたことでした。前編では、株式会社横引シャッターの事業内容や入社に至るまでのユニークな歩み、借金9億円という現実と向き合う中で培われた行動哲学について、お話を伺いました。後編では、恩で人を味方にする行動哲学や「人」を大切にする経営、今後の展望について、お話を伺っていきます。市川慎次郎/1976年埼玉県八潮市出身。国士館高校卒業後、中国北京へ語学留学。清華大学漢語進生として2年半を過ごし、語言文化大学(現:語言大学)漢語学部へ2年生から編入。株式会社横引シャッターに入社後、借金9億円の返済を目指し、負の遺産係として行動。6年で7億円の返済を実現する。2012年、同社 代表取締役就任。【会社概要】会社名株式会社横引シャッター設立1980年4月5日代表取締役社長市川慎次郎所在地東京本社 東京都足立区綾瀬 6-31-5サイトURLhttps://www.yokobiki-shutter.co.jp