インタビュイー:株式会社横引シャッター 代表取締役 市川慎次郎様1980年創業の株式会社横引シャッター。東京都足立区に本社を構える同社は、「横に動く」特殊なシャッターの製造・販売を専門に手がけるメーカーである。高い技術力は業界内でも評価が高く、空港やショッピングモールをはじめ、原子力発電所など高度な安全性が求められる施設にも数多く導入されてきた。その製品を開発し、全国へと広めた先代の父の遺志を引き継ぎ、現在同社を率いているのが二代目社長の市川慎次郎氏である。父から叩き込まれた帝王学や中国での5年半に及ぶ留学経験を経て家業に入社した市川代表を待ち受けていたのは、開発投資によって膨れ上がった9億円という巨額の負債だった。市川代表は、「1円でも返せば数字は変わる」と語る独自の「電話番号理論」を軸に、一つずつ課題を解きほぐしていく。また、「恩」で敵を敵でなくするという行動哲学によって社内の空気を変え、6年で7億円の返済を実現。経営の立て直しと同時に、「人を大切にする会社」へと組織そのものを変えてきた。前編では、同社の事業内容や入社に至るまでのユニークな歩み、借金9億円という現実と向き合う中で培われた行動哲学について、お話を伺った。本編では、株式会社横引シャッター・代表取締役・市川慎次郎氏に、恩で人を味方にする行動哲学や「人」を大切にする経営、今後の展望について、お話を伺っていく。恩で人を動かす。敵を「敵でなくす」再建の現場借金9億円という問題を解決するために、彼が選んだのは、「味方を増やす」のではなく「敵を敵でなくす」という方法だった。本章では、恩を起点に人と現場を動かし、会社再建を前に進めていった具体的な実践に迫る。市川代表:9億円という現実を前にして、次に考えたのは「では、実際に何から手をつけるべきか」ということでした。当時の会社は、給料の遅配や仕入先への未払い、税金の滞納や銀行借入と、さまざまな課題が同時に重なっていました。数字以上に厳しかったのは、社内の空気だったと思います。社長である先代を除けば、正直に言って、社内に味方はいませんでした。「そんなことをやっても無駄だ」「同じことは過去にも何度もやってきた」「この会社は立ち直らない」、社長がいないところでは、そんな言葉が普通に聞こえてくる。敵か、敵ではないけれど味方でもないか、そのどちらかしかいない状態でした。この状況で正論を並べても人は動きません。だから私は「味方を増やそう」とは考えませんでした。目指したのは、敵を敵でなくすこと。足を引っ張られない関係を、一人ずつ増やしていくことでした。まず取り組んだのは、会社の中に溜まっていた支出の洗い出しです。何部も契約されている新聞、亡くなった社員や退職した社員の分まで払い続けられていた保険料、誰も中身を把握していない支払い。 「昔からこうやっているから」という理由ではなく、「なぜ今も続いているのか」を一つひとつ確認し、説明できないものは止める。そう割り切って見直していきました。そうして原資を捻出したあと、次に向き合ったのが経理部との関係です。お金の流れをすべて把握している経理部は、会社運営において極めて重要な存在でした。ここが動かなければ、何も始まりません。だからこそ、最初に向き合う相手だと考えました。原資を使い、経理担当の女性に対して、「今まで頑張ってくれたから」と伝えて給料遅滞を満額で解消しました。すると彼女は、「私でいいんですか」と戸惑いながらも、素直に受け取ってくれました。その瞬間に、関係性ははっきり変わりました。味方になったわけではありません。ただ、敵ではなくなった。それで十分でした。全員に少しずつ返しても、全員が敵のままです。誰か一人に先に返済することで、「敵ではない人」を一人つくる。 このとき私は、恩も立派な武器になるということを、実感として理解しました。次に取り組んだのが、人材の問題です。当時社内には、各部署で「必要ない」と言われていた人たちがいました。先代の方針で首は切らない。その結果、居場所を失った人が社内に溜まっていたんです。私は彼らを「一日だけ貸して」「明日もいい?」と、少しずつ借りていきました。忙しくなれば、いつでも返す。その前提で集めていきました。気がつけば、二十人ほどが私のところに集まっていました。彼らと一緒に始めたのが、工場の改修です。材料は、スクラップ置き場から拾ってきた廃材。お金はありませんから、あるものを使うしかない。ただし、いきなり各部署のテリトリーには踏み込みません。反発が起きるからです。まずは、通路やトイレといった共用部分から手をつけました。溶接の練習をさせながら壁を塗り替え、電気配線を引き直す。照明の配置も見直しました。その結果、最終的に144本の蛍光灯を減らすことができました。明るさは変わらず、電気代だけが下がる。「どうする、どうする」と考えながら、一つずつ積み上げていく。その繰り返しでした。こうした現場改善を進めながら、返済の進め方も工夫しました。100万円の原資があって、5社に返済しなければならないとき、普通は20万円ずつ配ります。でも私はそうしませんでした。待ってくれる4社には10万円ずつ。一番待ってくれない1社に、60万円を一気に当てる。そうすると1社が消える。次は残り4社の中で、また一番厳しいところに厚く返す。不平等に返済して、1社ずつ解消していくやり方です。1社解消されると、息継ぎができます。全部が残ったままだと、ずっと苦しい。でも1社解消されると、そこだけは少し楽になる。その余裕が、次の一手を生みました。経理、人、現場、取引先。どれか一つだけでは意味がありません。敵を敵でなくし、居場所を失った人に役割を与え、1社ずつ返済を解消していく。派手な改革ではありませんが、この積み重ねが、結果として6年で7億円の返済につながっていきました。「人」を大切にする、横引シャッターの経営横引シャッターでは、「人」を大切にする経営を貫いている。その根底にあるのが、「人喜んでこそ商いなり」という言葉だ。この言葉に込められた市川代表の想いについて話を伺った。市川代表:会社を再建する過程で、私が一番力を入れてきたのが、社員との関係です。お金や仕組みをどれだけ整えても、現場が動かなければ意味がない。その現場を動かすには、「社長が何を考えているのか」が社員に見えていなければならないと考えました。そこで私が続けているのが、毎日、全社員にLINEでメッセージを送ることです。社長室はつくっていません。社員が「今、話しかけていいのか」「機嫌をうかがった方がいいのか」と考える時間そのものが、無駄だと思ったからです。LINEで送っているのは、指示や通達ではありません。その日感じた違和感や判断の理由、考え方です。いわば、私の頭の中をそのまま文字にして共有している感覚ですね。1年で1000ページ分にもなりますが、量が目的ではなく、「何を基準に考えているのか」を社員全員と揃えることが目的です。この発信とセットで、もう一つ明確なルールを設けています。「相談が先、自分の仕事は後」。社長や専務は、社員からの相談を最優先にする。自分の仕事は後回しでいい。だから社員は、顔色をうかがわずに報告や相談ができる。そうすることで問題が小さいうちに、必ず表に出てきます。私は、理屈で会社を動かしてきたつもりはありません。「現場がどうすれば動くのか、生き残れるのか」その一点だけを見て、やり方を積み上げてきました。その結果として、横引シャッターでは「人を大切にする」働き方が当たり前になっています。年齢や国籍、雇用形態は問いません。定年も設けていません。実際に、94歳まで働いた社員もいますし、78歳で入社した社員もいます。高齢だから特別扱いするのではなく、その人に合った働き方を一緒に考える。雨の日は休む、座ってできる仕事を任せる。無理をさせない代わりに、必要とされる形で関わってもらう。病気になった社員に対しても、雇用を切ることはしません。がんになった社員には、「治療中も給料は変えない」と約束しました。病気になった人が、会社や家族に「ごめんなさい」と謝るのはおかしい。働ける範囲で働いてもらい、できる限りの給料を支払う。それが、社員を家族だと思っている私の向き合い方です。先代から、ずっと守っている教えがあります。「社員を絶対に首にしないこと」。会社が成長すれば、風土や空気は変わります。合わなくなる人が出ることもあります。ただ、こちらから切ることはしません。「人喜んでこそ商いなり」。 まずは困っている相手を助ける。利益はあとからついてくる。社員、その家族、取引先、協業先も含めて、ここに関わるすべての人を大切にする。その積み重ねが、横引シャッターの経営を支えてきました。創業と未来をつなぐ役割。 横引シャッター二代目の30年構想最後に市川代表に今後の展望についてお話を伺った。市川代表:現在、私は「30年超長期計画」という事業承継のプランを進めています。自分自身を、創業した先代とこれから会社を担う三代目をつなぐ存在、いわば「徳川幕府2代目将軍・徳川秀忠」の役割だと考えています。徳川幕府は、1代目の家康が基盤を築き、3代目の家光が参勤交代・鎖国などの制度を完成させました。その間に立った秀忠は、前の時代を壊すことなく土台を整え、次の世代が力を発揮できる環境をつくる役割を担いました。私もまた、創業の精神を守りながら、次代が伸びるための基盤づくりに徹したいと考えています。この30年計画は、大きく三つのフェーズに分かれています。最初の10年は、次世代への「基盤づくり」の期間。二代目である私が、徹底的に土台を整えるフェーズです。次の10年が、実際の事業承継の期間。そして最後の10年は、承継後のその先の未来を見据えたフェーズになります。現在20歳の息子への事業承継は、実は彼が17歳のときからすでに始まっています。中小企業の多くは、事業承継を片手間で進めがちです。親は権力を手放さず、子は準備も覚悟もないまま放り出される。そうした光景を、私は何度も見てきました。しかし、事業承継は動物の「脱皮」と同じです。脱皮の瞬間は、外敵に最も狙われやすい、いちばん危険な時期です。そこを無計画に進めれば、うまくいく方が珍しい。だから私は、10年以上かけて計画的に進めると決めました。第三フェーズで私がテーマにしているのは、バトンを渡した後の「共存」です。引退して一切口を出さないのは、前任者としての職務放棄だと思っています。一方で、箸の上げ下ろしまで口を出せば、三代目は育たない。そこで重要になるのが、決裁領域の線引きです。本業は息子が社長として担う。私は別の領域で正々堂々と利益を生み、この会社からお給料をいただく。二人のリーダーがいても、社員が迷わないように、責任と権限を明確に分ける。いざとなれば、いつでも手を貸せる距離にいる。その形を目指しています。最高のバトンタッチを実現するための挑戦は、まだ始まったばかりです。これからも多くの困難が待ち受けているでしょう。それでも一つひとつの課題と向き合いながら、横引シャッターの未来を描き続けていきたいと考えています。インタビュー後記今回は、株式会社横引シャッター 代表取締役・市川慎次郎氏にお話を伺いました。帝王学や中国留学のご経験、9億円という負債と向き合いながら会社を再建してきた行動哲学、そして30年先を見据えた事業承継への想いについて、率直に語っていただきました。借金9億円という現実に対し、市川氏が選んだのは劇的な一手ではなく、「まず数字を変える」「敵を敵でなくす」「人に役割を与える」という順番を誤らない行動でした。電話番号理論に象徴されるように、1円でも返すことで思考を前に進め、恩を通じて人の関係性を変え、現場を少しずつ動かしていく。その積み重ねが、結果として会社の再建と人を大切にする経営につながっていったのだと学ばせていただきました。市川慎次郎/1976年埼玉県八潮市出身。国士館高校卒業後、中国北京へ語学留学。清華大学漢語進生として2年半を過ごし、語言文化大学(現:語言大学)漢語学部へ2年生から編入。株式会社横引シャッターに入社後、借金9億円の返済を目指し、負の遺産係として行動。6年で7億円の返済を実現する。2012年、同社 代表取締役就任。【会社概要】会社名株式会社横引シャッター設立1980年4月5日代表取締役社長市川慎次郎所在地東京本社 東京都足立区綾瀬 6-31-5サイトURLhttps://www.yokobiki-shutter.co.jp