インタビュイー:株式会社吉村 代表取締役 橋本 久美子様1932年に創業し、93年の歴史を刻んできた株式会社吉村。「想いを包み、未来を創造するパートナーを目指します。」という経営理念のもと、日本茶のパッケージ製作を軸に、菓子類や茶器などの企画・販売にも領域を広げてきた。革新的な取り組みと、人を大切にする経営姿勢は各方面から高く評価され、「新・ダイバーシティ経営企業100選」や「日本でいちばん大切にしたい会社」大賞など、数々の賞を受賞。長い歴史を持ちながら常に進化を続けるその姿は、次世代企業のモデルケースといえるだろう。なかでも注目すべきは、同社独自の仕組みだ。社員が“行動”にフォーカスして対話するための「LET(リーダー・エフェクティブネス・トレーニング)」、損失や経費削減の影響を売上換算で可視化する「植田方程式」、そして経常利益の4分の1を全社員に均等分配する制度。これらの仕組みが、「全員経営」の文化を根づかせ、唯一無二の企業へと導いている。その舵を取るのが、3代目社長・橋本久美子氏。専業主婦から経営者へと転身した異色のキャリアを持つ彼女は、生活者のリアルな視点と、社員一人ひとりへの信頼を武器に、伝統と革新を両立させながら、新たな未来を切り拓いている。前編では、パッケージという文化の器を通じて、日本茶の未来を創造しようと挑み続ける株式会社吉村の代表取締役・橋本久美子氏に、創業からの歩みと、3代目社長としての軌跡を伺った。家業を超えて―父が拓いたメーカーへの道創業から93年。家内工業として始まった株式会社吉村は、時代の変化に合わせて姿を変え、今日まで歩みを進めてきた。その歴史を振り返りながら、橋本代表は「家業を超えてメーカーへの道を切り拓いた」父の挑戦を語った。橋本代表:私は3代目の経営者で、会社は創業93年になります。初代は祖父・吉村英一で、創業当時は家内工業として紙の茶袋を作っていました。昭和初期、家庭で飲まれる飲み物といえば、ほとんどがお茶でした。商店街には多くのお茶屋が並び、祖父は東京のそうしたお茶屋さんに紙の茶袋を納めていたのです。これが、当社の原点です。昭和7年のことで、場所は品川の近くでした。その後、父が2代目を継ぎました。父が専務だった当時、高度経済成長の波が押し寄せ、昭和47年頃にはスーパーマーケットが続々と誕生し、高速道路も整備されていきました。物流の仕組みが変わると同時に、パッケージのあり方も大きく変わっていきました。そこで登場したのが、アルミ箔を貼り合わせた“軟包装”です。光も酸素も通さず、茶葉の鮮度を保つことができる、当時としては革新的な包装でした。父はすぐに「これから流通は川上に移る」と直感しました。それまでは茶葉を茶箱に詰め、店頭で紙袋に詰め替えて販売していましたが、軟包装であれば生産地(川上)で密封し、そのまま出荷することができる。鮮度を保ったまま流通させられるので、東京の店頭(川下)で詰める必要がなくなる―そう考えた父は、静岡・焼津の近くに土地を購入し、メーカーへの転換という大きな決断を下しました。当時、親族は皆、猛反対しました。なぜなら、印刷、ラミネート、整袋といった工程をすべて自社で揃えるというのは、中小企業では考えられない大冒険だったからです。印刷機やラミネート機は何億もする大きな設備投資。普通なら大手の下請けとして一部の工程を担うのが常識でした。でも父は「利は元にある」と信じていました。つまり、利益は川下ではなく、原料や生産に近い“元”にこそ宿る―だから全工程を自社で担えば、真の強みになると考えたのです。こうして父は、一貫製造体制を築き上げました。もちろん苦労もありました。オイルショックの影響で資金繰りは悪化し、銀行からの貸し剥がしにも見舞われました。それでも当時は、ペットボトルもまだ存在せず、コーヒーも一般家庭では日常的に飲まれていなかった時代。お茶の商品を作れば作るだけ売れる、そんな勢いがありました。父は会社を150人規模にまで育て上げ、売上を53億円に拡大しました。しかし、その成長も永遠ではありませんでした。やがて、インスタントコーヒーが家庭に浸透し、さらにペットボトル入りのお茶が登場。消費者がわざわざ急須でお茶を淹れる機会は急速に減っていきました。その影響で、53億円あった売上は45億円にまで落ち込みました。父はカリスマ的な人物でした。誰もが反対する中で道を切り拓き、決断を実行してきた人です。だからこそ、社員も家族も「父についていけば間違いない」と信じていました。しかし、時代の変化には逆らえず、やがて経営に陰りが見え始めたのです。私がバトンを受け取ったのは、まさにそのタイミングでした。私は二人姉妹の長女で、結婚後は出産を機に退職し、専業主婦として家庭に入っていました。義理の弟が専務を務めていたため、誰もが彼が後継者になるものと考えており、私自身もそう思っていました。ところがある日突然、父が私に「義理の弟には、生産管理や物流管理など現場の運営を任せる。いわば”今日の飯担当”だ。そしてお前は、営業と財務を担当し、将来の成長のため今後の事業方針を考える“明日の飯担当”だ」と言い、経営を託してきたのです。消費者視点で挑んだ差別化と新市場づくり父から突然「明日の飯担当」として経営を託された橋本代表。専業主婦として過ごした10年の経験が、意外にも経営の強みとなったという。自身を「プロの消費者」と語る橋本代表は、その視点から会社の方向性を大きく転換していった。橋本代表:私は経営の勉強をしたこともありませんでした。何なら、10年間は専業主婦だったので、仕事からは長いこと離れていました。けれども、その経験こそが私の一番の強みになったのです。言ってみれば私は“プロの消費者”として「こんな地味なパッケージでは、お茶好きの人以外はわざわざ手に取りたいとは思わない」と常に感じていました。初めて取締役会に出席したとき、議題は「いかに袋を50銭安く作るか」というコストの話ばかりでした。フィルムを薄くできないかという技術的な検討や、原価をどう下げるかという議論が続く中、私はその場で思わず「つまらない」と口にしてしまったのです。場は一瞬凍りつきましたが、それが偽らざる本音でした。コーヒーやペットボトルのお茶の普及で、我々の主力商品である茶葉やティーバッグの市場が縮小していく中、これまでと同様にお互いのパイを取り合う価格競争をしていても未来はありません。むしろ、消費者が「欲しい」と思える理由をつくることこそ大切だと直感したのです。中小企業家同友会に入会したことで、その直感は確信に変わりました。ある経営者の方が「中小企業は“尖る”ことが大事。大企業がやらないことを面白がってやり、勝てる領域を切り取り、そこで利益を生み出すのが生き残る道だ」と語ったのです。その言葉が、私の胸に深く響きました。「総合パッケージメーカー」と看板に掲げるだけでは何も尖っていない。「なんでもやります」と掲げる姿勢は、”かえって選ばれない”のだと気づきました。私が暮らしていた社宅でも、日本茶を飲む人はほとんどいませんでした。お茶会の場でも出てくるのはコーヒーや紅茶ばかり。私が急須でお茶を淹れると皆「おいしい」と喜んでくれるのですが、自分たちでは淹れようとしないのです。理由を尋ねると、「おいしく淹れられなかったら女子力が低いと思われてしまう。でもペットボトルなら、その心配がない」と答えるのです。その姿を見て、私は強い違和感を覚えました。お茶屋さんが思い描いている“理想の消費者像”と、“実際の消費者”のニーズや感覚がまったくかみ合っていない 。そう痛感した瞬間でした。中小企業が尖る必要性と実際の消費者のニーズに気づいた橋本代表。改革の第一歩として、生活者の声を徹底的に集め、商品づくりに反映させる取り組みを開始した。[グループインタビューの様子]橋本代表:そこで知人に協力してもらい、6人ずつのグループインタビューを定期的に行いました。当時はSNSもなく、保険の営業員などの人脈を頼りに、年10回以上、「これはなんか嫌だよね」「これなら買いたくなるかもね」など消費者の具体的な声を丁寧に積み重ねていったのです。自分自身は”お茶マニア”ではなく”プロの消費者”として、製茶メーカーの目線から一歩引いた目線を持っていました。その積み重ねが評価されて、未来の売上を作るため消費者に寄り添いながら今後の事業方針を考える「明日の飯担当」と父から呼ばれた理由だと思います。そこから生まれた商品が「春待ち茶」です。お茶の贈答は新茶シーズンの5月が中心でしたが、実は3月4月の“出会いと別れ”の時期にこそプレゼント需要があるのです。しかし、その当時のお茶の市場では新茶期以外は仏事に使えるような地味なパッケージしかなく、若い人が贈りたいと思えるものはありませんでした。そこで桜柄のパッケージを企画しました。これが大ヒットし、2,000万円以上の売上を記録しました。私はこの経験で確信しました。価格を下げるのではなく、付加価値を生み出すことこそが中小企業の戦い方だと。だからこそ最初に行った大きな改革はデザイナーの採用でした。それまでは外注し、見積もりが通ってから初めてデザインが上がる仕組みでしたが、それでは大企業に勝てません。社内デザイナーがいれば、営業の場で即座にデザインを提示できる。そうすれば「未来を共に創るパートナー」としてお客様に寄り添える。営業を“提案型”に変えることで、価格以外の価値で勝負できる体制を作りました。私は常に「お茶をもっと飲んでもらうために、何ができるか」を考えています。縮小する市場での価格競争ではなく、消費者の声を拾い、付加価値を提案する。その直感と経験こそが、私の経営の原点です。そしてそれは、専業主婦として暮らした10年間、消費者の目線で世の中を見つめた体験があったからこそ掴めたものだと思っています。前編では、株式会社吉村の創業からの歩みと橋本代表の3代目としての軌跡についてお話を伺いました。後編では、同社独自の仕組みと将来への展望についてお話を伺います。